アパシーを招く理由 2
週刊プレイボーイ7月28日号をソースとするのは適当かどうか分からないが、大川豊のページは国会で物議をかもすほどのネタを時々提供したりすることを考えれば、一読に値しないことも無い。今号のゲストは政治学者の福島政行氏。記事から気になるところをピックアップする。
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・史上最低だった9年前の参院選の投票率44.52%に近い低投票率になると予想
・その程度の投票率にとどまれば自民党の圧勝
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そういう状況を逆転できる可能性はないことはないのだが、続きは後ほど。
ニュースなど、有権者の区分けで「各政党支持者」と「無党派層」と、実に大雑把な言い方をしているが、それで、どんな分析ができるのだろう? まさか、各党の選対本部がそんなあってないような区分けで分析、対策、運動をしているとは思えない。でも、社民党とかはそれでやってるかもしれない。あの盆暗ぶり。
以下、出典はなにもない。ボクの身の回りのこととか、経験とかから、そうじゃないかな、と、有権者のタイプと投票行動を分類してみた。前項までに、選挙と言う仕組みが持つ問題に、低投票率と投票の質の2点を挙げた。ボクはせべての社会変革、特に制度や機構の改革に先立って、選挙は高い意識の上でなされた高投票率で行われたものが必要であると考える。現状が政策の是非を争う以前のものであると考えるので。
では分類に入る。異論があればいってもらいたい。修正していくつもりだから。
1,自民党の支持を全面的に支持しており、当然自民党に投票する
2,公明党支持者(創価学会員)
-a;党、学会の言葉を全面的に信じ、支持する
-b;信条により創価学会に入会したが、実は公明党支持するかどうか、迷っている(極々少数と思われる)
3,与党を積極的に支持するわけではないが、それ以上に野党を支持できないので、一応自民党支持
4,与党を積極的に支持するわけではないが、様々なしがらみ(会社、地縁血縁)のため、一応自民党支持(のつもり)
5,現状に不満がなく、なんとなく与党支持
6,現状に不満もなく、興味も無い
7,現状には不満だが、与野党とも支持しない。
8,野党を積極的に支持するわけではないが、とりあえず現状には不満なため、与党以外に投票予定
9,現状に強く不満を感じているため、野党を積極的に支持するわけではないが、野党に投票
10,野党の政策を支持できるので、野党に投票
きりがよく10種類に分類してみたが、なんとなく足りない気もする。こういう分類はどうか、というご意見待ってます。
1,だが、所得としては割りとある層で、尚且つ、それぞれの共同体のヒエラルキーで比較的上位にいる人々、といえようか。上昇志向が強く、今まさに上昇中という感じの人とかが多いのではあるまいか。積極的に選挙スタッフのしかもエラいほうにいたりする人。現状の政策にそれほど不満を抱かないということは、勝ち組と呼ばれている人なのか、単に鈍感なだけなのか。
1,のひとであっても、さすがにその時々に政策に対して疑問を抱かないことはないのだが、それ以上に、自民党以外は虫ケラ以下、眼中に無いのである。
2,はまぁ、言葉の通り。宗教心というのはどうやったら覆るのか分からない。何しろ、あのオウムからでさえ、目がさめることができない同世代がいっぱいいるのだ。戦後第一世代の新宗教、創価学会はそれ以上の時間を経ているわけで、教義的なものにはつつがないのだろう、きっと。厄介ではあるが、それはそれ、ひとつの考え方であるわけなので……。
1,、2,-aはこの際、あまり問題にしない。個人的には、自民党の政策、公明党の政策に食って掛かりたいのはやまやまだが、彼らなりに真摯に考えての投票であろうから、もし、問題があるとしても、この際は後回し。
3,と5,はかぶらないでもない。自民党以上に野党を支持できない。投票にいくのは権利ではなく義務だから、投票するなら自民党、と言う感じ。このあたりから、投票日、なんとなく気が乗らないので、投票に行かない、と言う人がでてくる。このあたりこそ、戦後、徐々に強化された自民党の安全装置の成果であると言えよう。
一応、個々人なりに政策を吟味しての判断であろうから、是非について、ここではクドクド述べるのは本意ではない。勿論、個人的には、戦後、特に高度成長期末期から如何にアンフェアに自民党のこの面での体制強化が行われてきたか述べてみたいところだが、それはいずれ稿を改めてのこととする。
また、一応、投票に行くつもりだが、と、どこかでためらいを感じている向きには、……いや、これも後回し。ただ、なぜそこでためらいが起こるのか考えてはいただきたいところだ。
4,が数としてはかなり多いのではあるまいか。彼等は与党の政策に共鳴して投票するのではなく、生活を人質にとられての投票ということになる。自覚の有無に関わらず。投票の何日か前、「総決起大会」とやらに会社ごと動員され、どうにも妙チクリンな雰囲気に飲まれるうちに、なんか、バリバリの支持者になっちゃった気になって……。票と会社に回される仕事がバーターとなる。分かりやすいのが建設業界で、首都圏など都市部ではともかく、地方では公共事業は一面産業と言ってしまってよい。公共事業費削減などと言われてはいるが、構造的に根が深い問題である。
一方地縁血縁のしがらみ。100の理路整然とした話より、田舎のババァには握手一発なのだ。親兄弟の情とか、単純であり、しかし、一番厄介かもしれない。ボクの住んでいる地方都市でも、市街地と山間の農村部とは、この辺が全然違ったりする。ひょっとして、ここら辺の家にかかってるカレンダーってまだ、昭和30年代か40年代なんじゃないかしら、なんて思ってしまうこともあるぐらい。
たぶん5,なんて、実際には投票に行かない。なんとなく与党支持、なんて書いてるが、そのあとの?同様、興味が無いといってしまっていい。周りに合わせて会話程度の政治ネタを仕入れてはいて、そのつど、政治に怒っているふりはするが、実のところよくわかっていない。分かる努力もそれほどしない。 3,とどう違うかと問われれば、まぁ、まじめさの差とでもいうか、3,はまがいなりにも投票と言う行為に責任感を感じているが、5,はどちらかというと、明らかに情勢に流されるタイプ。これもまた大多数と思われる。
6,と言う項目を敢えて加えておいた理由を書く。「非国民? パート2(http://turezure.bblog.jp/entry/24794/ )」というTBを返してきたkクンに敬意を表して。
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でも、僕は今、この国で生きて行く事に心底困ったことはない。
ある程度の不満はあるが、なんとなく楽しく生きていける。
別に変わんなくてもいい。
「それはお前が無知だからだ!」
なんて言われても、無知で結構。知らないから幸せなら、それも良し。
もし仮に、この国で生きて行く事に心底困れば、他の国へ移住する。
ハッキリ言えば、この国の行方なんてどうでもいい。
お上の好きにすればいいよ。
僕は日本という国が大好き。政治家という人は大嫌い。
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正直、あぁ、典型的なバカな大学生だなぁ、と思ったが、ケンカするのも本意ではない。何しろビンビン身に覚えがあることだから。一応政治学科の学生だったのだから、自分自身のアイデンティティーのために学生の時も投票だけは欠かせたことはなかったが、実際のところ、同じような事考えていたわけだし。今でも「もし仮に、この国で生きて行く事に心底困れば、他の国へ移住する。」あたりは僕自身思ったりする。
結局のところ、自分で働いて、給与明細を見ていろいろ考えない事には、何も問題意識は持てないのだろう。例えば、社会人になると一挙手一投足ごとに税金がかかる気がするときがあるものだが、そうなると、どうでもない、なんんて言ってられなくなるだろう。将来に不安を感じないというのは、鈍感であるよりは、結局のところ、親の庇護から離れていない証明であろうかと。
過剰に政治的である必要はまったく無い。したがって'70年代初頭ぐらいまでの大学生の真似なんてする必要もまったく無い。が、一部とはいえ、学生が「興味が無い」と堂々と言ってしまえる現状というのは、端的に何か重大な問題を表している気がする。
もっとも、kクンの場合、売り言葉に買い言葉的要素もあるだろう。わざわざblogに書くぐらいであるということは、本当に興味が無いというわけでもないと思うし。単に投票に行くつもりが無いだけで。
つまり、こうやって文章に書いて不特定多数に向かって発表するという点で、むしろkクンは7,と言う事になるかもしれない。ここに、ボクは日本人は選挙について何か酷い間違ったことを思い込まされている気がしているのである。一言ではいえないが、選挙と言うのは、どこか西洋の契約の概念に近く、ドライなものなのではないか、と考えている。然るにこの国では、契約よりも、地縁だの血縁だの、情だの、何かウェットなものが意思決定に際してかなり作用しているように見受けられる。ひょっとしたら、日本人と言うのは選挙、ひいては民主主義、いや、この際democracyと表記するべきか?、と、根本で相容れないものがあるのではないか、と考える時もある。
これについて書き出すと収拾がつかなくなりそうなので、今後の課題とするとして、ボク自身は選挙というものは、軽く見られるべきではないが、もっと乾いた考え方で望むべきであろうかと考えている。また、情などという、日本的なウェットな要素にこそ、罠が隠されているような気がする。
8,9,10については……、あぁ、だめだ。書くの面倒くさくなってきた。
薄らぼんやりとだが、こんなことを考えていると、低投票率と投票の質の問題とは、そもそも個々人のの政治への関心、知識的なものの低さと、社会構造的なものに起因しているのかな、と、頭のいい人なら、こんなにダラダラ書かなくても分かるようなことを今更ながら気がついてしまうのだ。
で、この2点。仕組まれたことではないか? と、疑念を抱いてみる。これにはさらに戦後60年をスキャンしてみる必要がでてくる。現在の一握りの政治家だけの話ではすまなくなる。殆どの人々が共犯者であり、被害者となる。ひょっとしたら、選挙と言うのは今の時代に出てきた社会のゆがみの本の一様相にしか過ぎないのかもしれない。
ただ、選挙さえ変えられないことには、我々は次の代に何もマトモなものを手渡せない気がする。
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