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憲法で明文化されている、「生命身体の自由」に照らして、、、、と難しい話をする以前の問題なのでしょうね。
感覚的には「殺されることが嫌だから。」と自分では答えます。殺されるのが嫌だから。殺されないような、安全を保障してくれるような法律をつくって欲しいと考えます。
少年法について。この法ができた40年前とは、時代も情報量も違うわけですから、「40年前の少年」と「現在の少年」の違いを深く検討した上で、法もそれに見合うように改正する必要はあると考えます。
基本的に僕は賛成です。
>なぜ人を殺してはいけないのか?
人が亡くなって悲しむ姿を見たくないから、悲しみを経験したくないからだと思います。
もう人が亡くなって悲しむという体験はできるだけしたくありません・・・・
人間は生きる上で「自由」を保障されているからではないでしょうか?
私の命は、第三者から勝手にされない権利があると思います。
逆に、自由が保障されない世の中ならば、たとえば専制君主の考え一つで生殺与奪が決まります。
現在の日本国では、私たちにはこの自由が保障されているから、殺人を含め、ありとあらゆる犯罪行為で
第三者の身体、財産、精神を守ることが法で定められています。
要するに、あんたも自分の思うように生きたいなら、他人の邪魔をするな!ってことじゃあないでしょうか?
改定されても少年法は生ぬるいと思う。
幼稚園児だって、善悪の区別がついているから、ヒーロー物がいつの時代もテレビで人気なんじゃないかなあ。
自然界の動物の中には「同族殺し」をするものがあります。
人間の世界の中にも場所や時代によっては人殺しが容認されたことがあります。「生贄」とか「剣闘士」とかですね。
現代でも「死刑」は賛否両論ありますが、一応認められた「人殺し」です。
時と場合によって「人殺し」が認められるということは、極端なことを言うと、結局「人殺し」が根本的にやろうがやるまいが関係ないことなのかもしれません。
「人殺しをしてもかまわない」と思ってる人・状況において、「人殺し」は悪いことではないのでしょう。
でも「人殺し」をして幸せになれるかというと、ほとんどの人はなれないでしょう。
警察には追われる、世間から後ろ指さされる。
でも、警察に追われようが、世間がなんと言おうとかまわない人がいるかもしれません。
そんな人でも、自分の内部からは良心に苛まれるのではないか。
その良心の呵責が無い人にとっては、「人殺し」永遠に否定されないでしょう。
こう考えると「人殺し」が良いか悪いかを決めるのはその人の「心」だけなのだと思います。
逆にいうと、「人殺しがいけないこと」である「理由」を教えるのでなく、「人殺しがいけないこと」であると認識する「心」を養うことが先なのではないでしょうか。
この意見は極論です。
しかし、戦争などで「人殺し」が認められてしまう現実を見ると、「人殺しがいけない事である」という事が根源的なことであるか疑問を感じてしまいます。
しかし、僕は幸せになりたいし、周りの皆に幸せになってもらいたい。
そのためには「人殺し」はできません。するつもりもありません。したくありません。また幸いにして、する必要が無い日本に住んでいます。
う〜〜ん、女子高生から「売春してなにが悪い!減るわけじゃなし」と聞かれるのと似てるかもしれませんなぁ。
現代の未成年の子供達はそういう質問(人殺し・売春)をすること自体ナンセンスだということに気付かないのかな?
そんな質問に答える必要はないと思う。アタマのひとつでもぶん殴ってやった方がよっぽどいい。
立川談志はこう言ってます。
「女子高生が売春してると思うから腹がたつんで、売春婦が勉学に励んでいると思えば、感心な奴らだと誉めてやりたい」
チャップリンの『殺人狂時代』のヒトコマを思い出しました。
「人を殺せば罪になるが、何百万人殺せば英雄になれる」
(もちろん、ヒトラーを揶揄して言っているのですが、、)
「じゃぁあなたはなぜ人を殺すの?」
「その理由でだったらあなたは他人に殺されても構わないの?」
・・・説得されたらどぉしよう??(汗)
な〜 です
「生きる」という基本的人権を侵害するからでしょう。
死んだ人を見るのは、とても怖いことだから。そうじゃないかな…
殺すことに抵抗がない人がいても、殺された人を見るのに抵抗がない人はほとんど居ないと思う。目の前の「死」に抵抗がないと、危険から逃れられないものだから。
結局理屈じゃなくて感情なんだけどね。
「殺す前に自分が殺されてみ?」と言うようにしてます。
しかしいちいちこんなこと口に出さないとわからない想像力のなさに脱力しますな〜。ったく、最近の若いもんときたら・・・(おい)。
一見話は変わって。
寒くなってきて、いよいよ鍋がうまいシーズンなんですが我が家の冬のお楽しみはボタン鍋なんです。伯父が猟をするのですが獲るだけでうちに持ってきます。で、いただいたイノシシや鹿は全部我が家で処理します。
食べる前に解体っちゅう大仕事があります。皮はいで、内蔵処理して肉切り分けて・・・直接手は出しませんが私もそばでアシスタントくらいはします。鶏の解体もつきあったことある。小さい頃から見ているので生き物は好き、でも食べ物は食べ物よ〜と割り切ってむしろ解体見つつ「ナベナベ♪」と喜んだり。
以上のような話をすると大抵の人からは「うげ〜〜」という反応をいただきます。でもねぇ、ちっと考えてよ。みんなが普段食べているお肉たちも同じ過程を経て食卓にのぼってみんなの糧となっているのだよ。
要するに自分の手を汚さずに美味しいとこだけ喰ってるんじゃん。
こうやって他の生き物の“いのち”を食べて生きているのだと小さい頃から見せつけられていると自殺も殺人もやろうなんて微塵も思わないですよ。んな罰当たりなことできません。田舎暮らしの人間にとって“生きる”ってことは非常にリアルかつ生活に密着した話題なのだよ。少年たちよ、田舎に留学でもしてサバイバル生活を送り、「生きる」ってぇことを実感してみやがれ〜!!
…などということを目の前で煮える鍋のニオイをかぎつつ、ふと思ったり。
コメントありがとうございます。
ハッシーさんへ
>法もそれに見合うように改正する必要はあると考えます。
小生も同感です。
ヒデミックス☆さんへ
>もう人が亡くなって悲しむという体験はできるだけしたくありません・・・・
確かに。
すもつく れんさんへ
>他人の邪魔をするな!ってことじゃあないでしょうか?
爆笑問題の太田氏が相方の田中氏を例に出して、例えば田中氏にも田中氏なりのささやかな楽しみがあるだろうから、それを命を脅かしてまで邪魔する権利は俺は持っていないと思う、みたいな事をテレビで言っていたのを思い出しました。
Bぱらそるさんへ
>でも「人殺し」をして幸せになれるかというと、ほとんどの人はなれないでしょう。
ベトナム帰還兵の方々のトラウマとかもそうかもしれませんね。。。。。
はのすけさんへ
>(もちろん、ヒトラーを揶揄して言っているのですが、、
「反戦」を別のシンプルな言葉で見事に言い表わしてるなあ、と感心するチャップリンのセリフでした。
おおのこうじさんへ
>・・・説得されたらどぉしよう??(汗)
小生の周りには幸いにも説得しようとする方は居ないので。(^-^;)
な〜さんからへ
>「生きる」という基本的人権を侵害するからでしょう。
うーむ。
Jr.さんへ
>殺すことに抵抗がない人がいても、殺された人を見るのに抵抗がない人はほとんど居ないと思う。
確かにそうかもしれませんですね。
PYONさんへ
>こうやって他の生き物の“いのち”を食べて生きているのだと小さい頃から見せつけられていると
>自殺も殺人もやろうなんて微塵も思わないですよ。んな罰当たりなことできません。
最もリアルなコメントのひとつかもしれません。
富山の大久保恵美子さん、大阪の武るり子さん、光市の本村洋さん。
少年犯罪の被害にあった方々から 直接お話を伺ったことがあります。
親として、本当に胸が潰れる思いが致します。
あまりのことに言葉を無くし、涙があふれます。
少年犯罪被害者当事者の会のホームページ
http://www4.justnet.ne.jp/~takatora/welcome.htm
殺された人がどういうことになるのか
殺された人の親、家族がどうなるのか
まずは、知ってください。
↑
あまりに重たいので、見ていられなくなりました。つらすぎます。
結局法律で裁くということと、モラルとして認識すべきことの間には雲泥の差があるようです。
最高の刑罰は「ハムラビ法典」なのかも知れない。
目には目を、歯には歯を
罪を憎んで人を憎まずというけども、私には出来そうにないなあ。
本人によりコメントは削除されました。 2000年11月02日 06時43分20秒
冒頭のコメント、あやまって削除してしまいました、申し訳ない。
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