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投稿番号:51442 投稿日:2000年08月06日 09時41分14秒  パスワード
お名前:ホワイトぺー
 

広島原爆忌

キーワード:いつもは書けないことを書いてみました。

地域:九州


今日8月6日は広島の原爆忌ですね。

先程TVの前でだったけれど、8時15分に黙祷をささげました。
大勢の命を一瞬にして焼き滅ぼした一発の爆弾、さらに続く後遺症。
モノも人も生きとし生ける者全てを壊し、また残った人達の肉体と精神をも傷つけ続ける。
・・・・・・この世から絶対に消し去らなければならない、「不必要な悪魔」です。

9日は長崎の原爆忌です。
県内ほとんどの小中学校は登校日です。私も大切なことを多く教わりました。

毎日は考えられないから、せめてこの時期、色々考えなければならないのではと、私は思います。
8月15日終戦記念日・・・・・・そして・・・・
まさに戦争が始まった日(第2次世界大戦)(・日中戦争は既に始まっていた)
12月8日は忘れてはいけないと思います。


とおるちゃんさんからのコメント(2000年08月06日 20時11分31秒)
 

本人によりコメントは削除されました。 2000年08月06日 21時20分09秒

とおるちゃんさんからのコメント(2000年08月06日 21時22分12秒)
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、ラジオドラマの「ひこき雲」聞き終わったところです。
55年前の特攻基地と現代のラジオ番組がクロスオーバーするSFドラマでしたが、
明日特攻隊員として飛び立っていく青年と現代のD.Jとの会話のワンフレーズに
「今の日本は良い国ですか?」
の問いかけがありました。重い、重過ぎる問いかけでした…

広島・長崎での原爆の被害にあわれた皆様、及び戦争の被害にあわれた沢山の皆様の
御冥福をお祈り申し上げます。

     やっぱりこの時期にだけしかこんな事考えられないのは情けないと思う「戦争知らずに育った子供」

ち母さんからのコメント(2000年08月07日 22時48分01秒)
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8月6日、9日は、絶対に忘れてはいけない日だと心に刻んでいます。
折しも、8月6日は末っ子の誕生日。毎年、思うことだけれども、原爆で生きたくても生きられなかった子の分まで、自分の人生を大事にしてこれからの人生を歩んでいって欲しいと思います。
決して、同じ過ちを繰り返す事なく…
両日に亡くなられた方々、そして、大人の犠牲となってしまった子供達に黙祷…

はのすけさんからのコメント(2000年08月07日 23時52分02秒)
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今村昌平監督(だっけかな?)の『黒い雨』を思い出しました。
(キャンディーズのスーちゃんが熱演しましたね)
唐突に原爆に会ってそれこそ虫けら同然に殺された一般市民のことを
思うと本当に憐れでなりません。

わたしも小学生の頃から毎年この日になると黙とうしておりましたが、
この原爆記念日が年を経る毎にだんだんと形骸化しているように思えて
ならないのです。
55年前というのが少し前なのか、随分前なのかは人の感性に委ねる
ところがあるのだけれど、だんだんと風化しているような感じになるのが
否めません。本当はこんなことではいけないんだけどね。

森(で出会ったくまさんみたいな)総理大臣の「原爆を受けた唯一の
国家として、核兵器の廃絶を各国にアピールし〜〜ウンヌン」が、
(原稿を丸読みしているからか?)なんだか通り一遍の国会答弁みたい
でなんの感情移入もなく、とてもイヤな感じだったな。
日本という国はもっと確固した信念を持たねばならないのではないの
でしょうかね。
一時、南太平洋で核実験したフランスに国交断絶するぐらいの気概が
欲しかったです。。

ホワイトぺーさんからのコメント(2000年08月09日 03時18分57秒)
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とおるちゃん、ち母さん、はのすけさん、皆さん書き込みありがとう。

私も今日の長崎原爆忌も、静かに祈りを捧げたいと思っています。

原爆については、父からよく聞かされました。
当時父は12歳で、防空壕掘りを手伝っていたそうです。
長崎から約50キロほど離れた町でしたが、地面が、まるで大きな地震のようにぐらぐら揺れたそうです。
まず最初、空がピカッと光ったので、何だろうと振り返ったとたんに、足元が揺れ出したので、びっくりして慌てて防空壕に走り込んだそうです。
その後大きな特殊爆弾が長崎に落ちたらしいと知ります。

ご存知の様に、市内は殆どの建物が崩れ落ちています。病院も医者も足りません。
そこで、大勢の被爆者が、次々と列車に乗せられて、沿線の駅まで運ばれました。
50キロ離れた父達の住む町にも、怪我人が運ばれてきたそうです。
それはそれは悲惨な状態だったそうで、とにかく、空き教室などを利用して介抱が始まりました。
見ず知らずの人達でしたが、地元婦人会の奥さん達が懸命に介抱して、結果、命を取りとめた人もいて、後年お礼に見えられたそうです。

戦争・・・・何やらこの言葉も、熟語で「交通」「受験」などなど付けられて、本来の悲惨さや血生臭さが無くなっている様に思われます。
言葉は酷いけど、「人間対人間の殺し合い」なんですよね!
どれほど理不尽で、人が人として生きてゆけない非情な状態になってしまうか、もっと伝え学ばなければいけないのだと考えます。
日本の戦争加害責任について、よく海外から追及されます。
私は考えるのですが、非情な状態で毎日を殺し合う事だけを考えていたら、日本では普通の父親だった人でも、戦場では、今の私達には想像も出来ないような、おかしな心理状態になるのではないでしょうか。
戦場では、やらなければ、自分がやられるのですから・・・・

けれど、だからと言って、原爆を正当化する事は許せない。
広島と長崎では、その種類が違うと言う事は(ウランとプルト二ウム)、爆弾の威力を試して見たのと変わりなく、
その為に、戦争で疲弊してもなお、生きてゆこうと懸命に暮らしていた一般市民を大勢殺したという事は、重大な戦争犯罪だと私は考えます。
他の兵器と重大な違いは、大きな後遺症です。
今現在も苦しんでいる人が大勢居るということです。

どうしても冷静に書けなくなりそうなので、この辺で止めます。
ただ、終わりに一言・・・戦争は2度と起きてはいけない・・・



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