小川もこの伝言板一覧に戻る
投稿番号:45087 投稿日:2000年01月31日 09時42分46秒  パスワード
お名前:ふりいと
 

移植医療の行く先

キーワード:移植医療 万能細胞 クローン 科学技術 智 理性

地域:四国


1月30日付けの新聞に「理想の医療に期待」との見出しで、万能細胞(胚性幹細胞)の
研究が進み、研究公認が日本でも近づいているとの記事が出ていました。私が読んだの
は地方紙ですが、おそらく配信は他の新聞にもされていると思いますので、ご覧になっ
た方もいらっしゃるかと思います。
 初めて 万能細胞を作り出した教授は「将来移植医療を革命的に変える技術である」と
おっしゃったそうで、確かに移植用のどのような臓器や血液製剤も大量生産可能にする
ことが可能になるでしょう。
 問題は、万能細胞を作るのには、「受精」卵が必要であるということです。
 研究においては、既に受精卵を使用することは認められており、また、法律的にも受
精後何日までかは、その受精卵には人間としての権利は与えられていません。
 脳死の問題も検討されるのであれば、生まれるということについても同様に論議され
ても良いのではないでしょうか。つまり、いつから人間としての生命を認めるのかとい
う問題です。また、その問題を解決するために、クローン技術を使うことも考えられま
す。
 現実にクローン人間の研究においても、一体何時から人間としての権利を認めるかに
よって、一旦発生させた生命をどのように扱うかということがたいへん重要な問題にな
ります。つまり、その境界を越えてしまった生命は、否が応でも人権を与えられ、社会
に出さざるをえなくなる可能性があり、それを無視して研究所内で処分することは、殺
人になってしまうということです。
 また、精子バンク、卵子バンク同様に、受精卵を提供する人の情報の保護の問題も発
生します。
 派生する問題として、不妊治療にこそ受精卵を提供すべきだという考え方もあると新
聞にはかかれたおりました。
 移植医療は、必然的にこういった万能細胞、クローン技術、遺伝子操作、等と関連し
てこそ初めて進歩、技術の確立、普及ができるものである以上、それを支持する人は自
動的にその推進者とならざるを得ません。
 今ならばまだその技術を封印することも可能であると考えますが、おそらくは無理で
しょう。その結果は、人類全体が平等に背負うことになります。
 アインシュタインは原子爆弾を広島や長崎に落としたくて、物理学を研究したわけで
はありません。ノーベルは戦争で大量殺戮をしたくてダイナマイトを作ったわけではあ
りません。二十世紀に我々を豊かにした化学物質や、化学肥料を作り出した研究者は、
地球の環境破壊をしたくてそういうものを作ったわけではありません。
 善意で行なっていると思っていても、結末は悲惨なものになることは二十世紀に人類
はおおいなる犠牲を払って学んだはずです。この技術が現在の問題を当面解決するから
という理由だけで推進することは、何も学習していない、大いなる犠牲を無駄なものに
する行為です。
 人間らしい知性と理性をもって、判断をしてみてはいかがでしょうか。


サラさんからのコメント(2000年01月31日 15時35分52秒)
           パスワード

移植医療の行く先、というよりは、現代医学をどこまで認めるかという文章に感じます。
ふりいとさんは、どこまでの現代医療を認めますか?
どこまでの医療を、ご自分は受けようと思っていらっしゃいますか?
凍結された、精子、卵子、受精卵。大きな問題ですね。奇しくも、セリーヌ・ディオンの妊娠が伝えられました。
生命倫理・・・中絶はどうしましょう? どんな場合でも認めません?
とても大事な話ですが、話を広げすぎると論じあうのは難しいですよね。とても壮大なお話だと思うのですが・・・ 
また、脳死の問題と移植医療はわけて考えた方が良いと思います。

どの部分を否定なさっているのか、どの部分を肯定されているのか、
もう少しわかりやすく書いていただけると嬉しいのですが。
ふりいとさんのボーダーはどこにひかれているんでしょう?

ちまちまさんからのコメント(2000年01月31日 19時44分50秒)
           パスワード

 「いのち」のありかはどこにあるのか?
 という問題がはっきりしないまま「移植」も「クローン」も技術だけが進歩していくように思います。
 
 「まさかそんなことが可能なはずはない」
 と思っていたことがいつの間にか、可能になりつつある時代です。
 どこかでセーブしていかないと、大変なことになるのではないか?
 
 サラさんがかかれているように「(自分の)ボーダーはどこにあるのか」
 ということをはっきりさせないといけませんね。
 
 わたしはどうでしょう?
 もし、自分が「脳死」状態になって、家族が認めてくれたら、臓器提供には同意します。
 けれども自分が、移植しなければ生きられない状態になったら、、、迷うと思います。
 受精卵を利用しての万能細胞については、ふりいとさん同様に危ういものを感じます。
 それは、自分が2人の子どもを産んだからだと思いますが、
 やがて一個の人間として認められるはずのものを、単なる材料のように扱うことに
 倫理や道徳といったものを越えて、生理的にいやなものを感じるからです。

 以前に英会話のレッスンで同じようなことを話し合ったのですが、
 この「生理的な嫌悪感」というものを英語で伝えられず、非常に
 歯がゆい思いをしたことを覚えています。
 
 

TAKEGONさんからのコメント(2000年01月31日 21時07分38秒)
           パスワード

>移植医療
私は、、、私自身は、
「君の肝臓は、、フォアグラ状でどうにもならん。。健全な肝臓を移植しなければ助からない」と言われたら、
そこまでして助からなくても 良い と考えるかもしれません。

残された時間がわかったら、
その時間を使って、、また、オヤジ一人旅に出たいです。
あと、死んだときの葬式はどうして、こうして、とか、遺影はこれが良い、、なーんて、段取りもしたい。

ですが、、世の中に、助かりたい人は必ずいるでしょうし、
仮にそういう事態になった場合、、助けてあげたいと思う人もいます。
そうすることで助かる術があるならば、できる限りのことをしてあげたくなることは、人情だと思う。
そういう意味で、技術的に進められる研究であれば、、ジャンジャン進めてほしいと考えます。

ですが
>研究においては、既に受精卵を使用することは認められており、また、法律的にも受精後何日までかは、
>その受精卵には人間としての権利は与えられていません。
これは難しい問題だと思う。これは、提供者の倫理観が支配する世界だと思います。
 
先週の金曜日、妻と妹と3人で古町で飲みました。
雑談の中で、当然のように もこさんとラジオの話が出て、それは移植医療の話に漸移しました。
妻と妹は、、人にあげるのはイヤだが、、、たとえば、子供がそうなったら、、欲しい。。そりゃ助けてあげたい。。
「では、ドナー登録するのか?」と 聞いたら、、それはイヤだ。。であります。

私もそういう人種の一人ではありますが、まず、、ラジオで放送されなかったら、
そういうことを全く考えなかったであろう、、我々3人、、と、店のママを入れて4人か、、
が、真剣に熱く語りあう時間を持ったことを、もこさんに御報告致します。

じゅにあさんからのコメント(2000年02月01日 00時10分06秒)
           パスワード

アインシュタインがいなければ、液晶ディスプレイもできなかった。これも事実です。
ノーベルは抑止力を目指して、全てを破壊する火薬を開発しようとした。これも真相です。
化学肥料が無ければ、ここまでの人口は支えられなかった。これも事実です。

どんなことでも否定的に見ようと思えば簡単なことです。また逆に、肯定的にこじつけるのも可能です。当然、それぞれの欠点を言うのも難しいことでは有りません。特にそれが裏づけが無い「生理的に受け付けない」なんて言う無いようは・・・何せ言っている人にとっては「絶対的な基準」で、他の人の基準とは関係無いものなんだから。
移植の話のときも思ったんですが、人間らしい知識と知性、というような言葉の中に、自分の考えを表さずに済む様にごまかしているだけに成っていませんか?

受精卵を使用した胚性幹細胞の実験は、「どんな臓器も作り出す」という方向と、「受精卵を使用せずに作る」という方向性があります。移植に使おうと思ったら、他の人である「受精卵」の表面抗原は邪魔なのです。それでは、なんのために胚性幹細胞から移植するのか分かりません。当然、臨床応用は「受精卵を使わない胚性幹細胞」から「目的の臓器」を作ることが目標になります。その時点で実験を「受精卵だから」といってストップをかけるのは、宗教的以外の理由は思いつきません。まあ、その受精卵の出所については大いに問題にされないといけないと思いますが。きちんと提供者に同意を得ているかどうか、ということです。「余った卵子」を使っているとすれば、それは犯罪である可能性があります。

まあ、僕自身はその研究者と「同じ穴の狢」の世界の住人ですが。

ふりいとさんからのコメント(2000年02月02日 00時26分04秒)
           パスワード

 私のボーダー・ラインは、理想では「シャーマンが祈祷をして病気を治す」程度の
行為で十分だというところです。しかし、現実には人間が営々と築いてきた文明とい
うものを受け継いで生活している人間ですから、それを否定して生きるわけにはいき
ません。それをするなら、とっくの昔に自殺しています。
 では、文明も肯定しつつ、理想も実現するにはどうすれば良いのか、動物でありな
がら、純粋な動物としては存在できない人間という種族らしく、知性と理性を働かせ
る生き方をすることしかないでしょう。
 人間も何時かは必ず滅びることは間違い有りません。クローンが社会に出ることで
その時期が早まるかどうかという程度の問題でしかありませんから、私がここで声を
大にして訴えることなど何の意味もないと考えても間違いではありませんが、生命体
として自己保存の本能を働かせることが正しい存在のあり方だと認識しての行為です。
現実に人間は、文明というものを持つことで、自らの存在の危うさを同時に持つこと
になったわけであり、文明の進化はイコール生存の危機との折り合いの歴史に他なり
ません。
 つまり、本来の知性と理性を極限までに高めると、人間はただの動物に帰って行か
ざるをえなくなるというのが私の結論です。相反する論理のようですが、人間の存在
というものは実に矛盾に満ちていることから考えれば、当然の結論だと私は考えてい
ます。
 今すぐに、全てを否定するような野蛮人ではありませんが、全ての行き着く先を見
通す目をもってみれば、動物に還るための行動を起こすことが人間にとっては最良の
選択であると考えますし、大きな流れのひとつはそうなっていると私は確信できます。
 私は、臓器移植を生理的に受けつけないわけではありません。
 私は臓器移植を考える際に、自分の科学的根拠のない「生理的な嫌悪感」といった
極めてその時代の道徳観や価値感や倫理感に左右されるような判断は切り捨てました。
 科学的に考えて、それがどのような結末を生むことになるのかということが重要で
あるということを、二十世紀の人類の所業で学んだからです。
 薬害エイズの問題もそうです。その行為が結果としてどのようなことが起こすこと
になるのか、科学的な理性や知性を働かすことかできれば、その様な行為はとらなか
ったはずです。結果として「当時はその様な危険性は予見できなかった」などどいう
言い逃れをすることになるのです。
 その様な危険性を予見することができなかったという一言で、人類全体にその責任
を負わせることが、いったいだれに可能なのでしょうか。いえ、われわれは一人一人
があたかも別々の存在であるかの様に認識しているかぎりにおいては、それが理不尽
であると感じるでしょうが、人類全体がその責任を負うことは当然の帰結です。
 ですから、わたしは科学的根拠のない感情ではなく、自分の持てるかぎりの理性と
知性をもって判断したのです。これは、自分の考えの表現であり、人類という種の危
険を察知する人類の本能の働きの現れであると考えます。
 全てのものには、当然良い面悪い面が存在します。それを認識するものの見方ひと
つでどのようにでも認識できるでしょう。しかし、なんでも存在するものを人間の恣
意によって都合よく分類することこそ本当の裏づけのない感情による行為ではないで
しょうか。
 人間という存在がどうあるべきなのか、どのような運命にあるのか、現実にどうな
るのか、そして私たち自身がどうしたいのかということを、本当によく考えなければ、
そこにあるのは本当に空虚な妄想と破滅の世界にしかならないのではないでしょうか。
 現在の人類の置かれている状況は、まさにその選択を迫られているのだといえます。
 個人が自分の意志で様々な情報入手することが可能で、それを利用してどのように
でも生きることができる。だからこそ、より科学的で理性的に成熟した人間が必要で
あり、求められています。成熟した存在になれない人類という種には、より早く悲劇
的な絶滅というシナリオが用意されているのです。

注:私の言う「科学的」とは現代の科学を指すものではなく、自然の摂理を直接的に指
すものです。つまり、現代の科学とは自然の摂理の一部を人間にわかりやすいように
翻訳した程度のものに過ぎないということです。

のいづさんからのコメント(2000年02月02日 01時34分37秒)
           パスワード

 う゛〜ん、、、ふりいとさんは「科学的な理性や知性」を働かせていろいろ主張しているようだが、高尚すぎるのかなんなのか、私の率直な感想としては、申し訳ないが、ふりいとさんの論は「観念的論理の遊び」としか私は捉えられないな、、、、

 「科学的な理性や知性」は大切ですが、ふりいとさんの文章からは「生命を慈しむ心」に欠けているように私は感じました。

 似たような(でもないか?)移植医療慎重派でも、な〜さんの論(見てない方はどっかのスレッドに載ってますので自力で探してください)には「生命を慈しむ心」を感じるのに、この違いはどっから来るのだろ?

 私の感性がどっかズレてるのだろうか?

サラさんからのコメント(2000年02月02日 11時53分39秒)
           パスワード

ふりいとさんの書き込みを勝手に要約すると・・・・
 理想は「シャーマンが祈祷をして病気を治す」人間社会である。
 しかし、営々と築いてきた文明を否定するわけにもいかないので、科学的根拠を持って、
 理性と知性を働かせた生き方をすべきだ。

これは・・・・・多くの皆さんが、そう思っていらっしゃるんじゃないでしょうか。
文明の発達は、一方でこの地球全体を様々に痛めつけてきたんですよね、人間に限らず。大きなリスクを伴っていた。
そして病を生み出したけれど、追いかけるようにそれをなおせる方法はないかと知性を磨いたんですね、きっと。
何の障害もないところにここまでの発達はなかったと思いますよ。
今日の私たちの環境は、昨日までの歴史が作った物ですよね。良いことばかりじゃないですけれど。
病を増やそうとは思っていなかったし、増えるとも思っていなかったでしょうね。
たとえば、DNAが損傷するなんてこと、今まで分からなかったんですから。

動物にかえりますか・・・・どのあたりまでかえりますか?
理性と知性を持ちながら、手をこまねいている状態にかえりますか? 知性を理性で押さえますか・・・・
きっと、ある時、誰かが病気の家族に青カビを口に含ませるでしょうね。ペニシリン。
苦しんでいる家族を救いたいもの。それも駄目ですか?
人間としての感情、どのあたりまで昇華させましょう。どこで、割り切りましょう。
「より科学(自然の摂理)的で理性的に成熟した人間」というのは、とても難しいと思う。
成熟、、、、どの状態がそうなんでしょうか。ますますわかりません。
仙人にでもなりますか・・・・

結局、現実問題として、ふりいとさんのボーダーはどこなんでしょう。(理想は分かりました。)
何度も、恐縮ですが、ふりいとさんの知性と理性が判断しているボーダーは? 

難しいので辞書を引きました。三省堂の新明解国語辞典です。辞書を引こうと思っていた方に参考まで。
【理性】感情に動かされたりしないで、論理的に考えをまとめたり、物事を判断したりする頭の働き。
【知性】物事の理屈がすぐ理解できる能力。理知。
【摂理】〔キリスト教で〕最終的に人を善へ導く、神の意志。
【恣意】−しい− その時どきの思いつき。
【生理的】からだの・機能(構造)に関係がある様子。
    〔理屈でそうするのではなく、本能的にそうなる意にも用いられる〕

のいづさんからのコメント(2000年02月02日 12時48分25秒)
           パスワード

 命題「移植医療で人類は絶滅するか?」

 私は「ありえない」と断言します。

 100パーセントありえないとはいいませんが、人類絶滅の可能性として想定される数多くの他の要因と比較検証して「移植医療で人類絶滅」の可能性は「無視できるほどに小さい」と断言してもいいですよ。(移植医療やクローン技術を無批判に礼賛するつもりもないので、念のため)

 「クローン技術の移植医療への応用による人類絶滅」など、理屈の上ではどうにでも言えますが、「現実がどう動くか?」については、数多くの問題や困難はあれども、未来の人類の英知を私は信じています。

 それより私は、同じ人類の絶滅を心配するなら、「クリ○トンとエ○ツィンの発狂による核ミサイル発射」の人類絶滅か、もしくは「Y10K問題」すなわち「西暦10000年」のコンピュータ誤作動による人類絶滅の方が心配ですな(爆)

な〜さんからのコメント(2000年02月02日 18時10分50秒)
           パスワード

な〜 です

ふりいとさんの言われたいことが解らないでもありませんが
でも、ほんのちょっとしたことで助かる病気もいっぱいあります。
それらを全て否定してしまうのもちょっと?

例えば肺炎、虫垂炎、胆嚢炎などは抗生物質がなかった
時代は死の病でした。でも今は殆どの場合治ります。

一方で抗生物質によるアレルギーが原因で亡くなる人が
おられることも事実ですが。

また大血管を損傷した事による出血死もそうです。
例えば腿にある大腿動脈を傷つけた場合、押さえながら病院に
運べば助かりますが、出血をそのままにしておけば10分持たないでしょう。

医療のあり方はなかなか難しくて一概に論じられません。
私はこういう問題になるとどうしても個人的には一歩引いてしまいます。

じゅにあさんからのコメント(2000年02月02日 22時26分25秒)
           パスワード

 ふりいとさんの結論、というのがどうも良く分からない・・・どこからどういう過程でその結論に達したのでしょうか?「科学」というからには「再現性」があるはずです。「私の科学ではこうなった。あなたの頭では理解できない」であればえせ宗教家のたわごとと何ら代わりがありません。ちなみに、自然の摂理の観念を研究することは、哲学であり、科学の一部です。再現性に耐えた哲学がいまだに無いから、まだまだ発展しつづけることでしょう。

 現実問題として、「祈祷師が祈って病気が治る」状態から比べると、人類事態が進化、あるいは退化しすぎています。「動物に帰る」という言葉の定義が難しいですが、自然の中で木の葉を身にまとい、岩陰で雨をしのぎながら生き延びられるほど、現代の文明人は強くありません。それは、より文明社会に適応しやすい遺伝子が生き残ってきた結果であり、また「清潔過ぎる」環境のよる抵抗力の低下の産物でもあります。「知性と理性を使って動物に帰る」というのは、「知性と理性を使って人類の数を大量、できるだけ文明人を中心に減らす」事と同じなのです。まあ、地球環境のためには、それが理想でしょうが・・・こういう結果も人類全体が背負うものでしょう?それこそ、原子爆弾より、ましてや薬害エイズよりはるかに多くの人を一思いに殺すことになるのですが、ふりいとさんの「科学」はそれに耐えきれるものなのでしょうか?

 移植医療で人類が絶滅することは無い、とは言いきれません。新たなウイルスを生み出す危険性に付いては、誰も検証できていないのです。たとえば、(ちょっと夢想的ですが)インフルエンザの感染力を持った免疫不全ウイルス(エイズのような)が生まれない、という保証も無いわけです。仮に同じ細胞に感染したとしたら、それぞれの遺伝子を持ったウイルスが生まれても不思議では有りません。そして、移植医療はこのような新たな出会いのチャンスを増やすことに成るのです。「検証していない」事は「ありえない」事とは違います。それがどんなに常識はずれでも、確かめようとするのが科学の立場です。当然、常に危険が伴うわけで、そのために遺伝子を扱う研究施設にはさまざまな制限がかけられているわけですが、その安全性は99.999%になっても100%ではありえません。それでも研究を行う・・・だから自分で「マッドサイエンティスト」といいたくなる(−−)。
 そして、多くの人を動かすには、今「再現性」が重要な課題になっています。それには、否応無く一般で言う「科学」の力が必要なのです。もし移植医療の特殊な危険性を証明できれば、移植医療はストップするでしょう。それは、日本以外の国で血液製剤の使用を早急に中止したことと同じレベルです。そして、移植よりは本人の体細胞から作った「臓器のクローン」のほうがこういう危険性ははるかに低いので、その方向の初期研究だけが生き残ることになると思います。

 ちなみに、薬害エイズの問題は、全く次元が違うものです。別に金儲けのために危険な製剤を使いつづけたわけではなく、「自分で確かめないと信じられない」人が、たまたま日本で一番信用されている人だっただけのことです。報道で、ずいぶん「悪意が有った」様にされてしまいましたが、決してそうでは有りません。そして「かわりの製剤の効きの悪さ」もある程度は本当だったのです。そして最高責任者は「自分の目の前にある危険」のほうを優先させた。そして、致命的なミスになったからこそ「責任」を取らされた。日本人は責任の取らせ方を知らないから、人格まで否定していましたが、それはやり過ぎです。彼は彼なりに最高の理性と知性を働かせて、あの結論を取ったのです。「間違えた」事と「考えなかった」事は別です。その意味では「彼を最高責任者」にした人も、ほぼ同様の責任があるのですが、充分な責任を取らされているのでしょうか?僕には疑問です。

 「現代科学」に対する「哲学的」な疑問を、その末端から生まれた「技術」である「移植医療」に向けても、「否定的な感想」か「肯定的な感想」かいずれかしか生まれないのではないですか?所詮「感想」では何も動かせません。
 まあ、僕も「現代科学を進めるしかない」と考えたから「進める」方を選んでいるだけですが。それが正しいかどうかすら、「現代科学」の中の大きな研究課題なのです。そこで何かを証明してもらうしかない。

 でも、こういう題材って、昔のハードSFでは散々取り上げられている話なんですよね(^^;;;

ふりいとさんからのコメント(2000年02月03日 20時58分10秒)
           パスワード

 のいづさん の言われる「観念的論理の遊び」とじゅにあさんの言われる「哲学」と
は、ほぼ同義と考えて良いでしょう。
 確かに、「生命を慈しむ心」は無いかもしれません。我々が持っていると多くの人
が認識している「生命」、「命」とは、私にとっては単なる状況の発現の一面でしか
ないからです。
 ですから、誰かが死にかけていても、そこに対応する医療技術が無く、シャーマン
がひたすら祈りをささげて神といえる存在(自然)にその結果を委ねるということで何
も問題ないのです。1分1秒でもこの私という生命体を維持することが本当の意味で
「生きる」ということではないのだということです。「死ぬ」ことはつまり「生きる」
ことと同義なのです。
 皆さんは「死」とは、悲しく、嫌なことで、無価値で、それまでの経過を全て無に
帰する現象であると認識されているでしょうが、それは科学的な考え方ではありませ
ん。
 科学には再現性が必要だというじゅにあさんの説はごもっともですが、わたしの論
理にはきちんと再現性が備わっております。
 人を死に致らしめる遺伝病であっても、それが存在することでエイズに対する抗性
を持った人間を存在させるために必要な遺伝情報であったり、世代交代(つまり死に生
まれること)を行なうことで種としての継続性を維持させることができています。
 つまり、営々と営まれてきた地球での生命活動の全てがその再現性であり、根拠です。
 我々の周りに存在するものには「死」であっても無意味であったり、無価値であった
りすることはないのです。
 それを人間の狭隘な価値感で判断し、改変することなどまさに自殺行為としか思え
ません。現代の科学とは自然の摂理の一部を人間にわかりやすいように翻訳した程度
のものに過ぎないということを繰り返し述べておきます。
 人間が生命の技術に直接的に手を加えることができる様になってきましたが、それ
はつまり、自然そのものを人間が管理できるという思い上がりに過ぎません。
 人間などの極めて矮小な価値感で管理などできるはずがないのです。そのことは既
に世界各地の原発事故、核抑止によってしか成立しない見せかけの平和など、その歴
史を紐解くまでもなく明らかであるにもかかわらず、それを行なおうとすることは傲
慢以外のなにものでもありません。
 皆さんにお断りしておかなければならないのは、皆さんの考えは点でしか物事を考
えていないということです。私は、すべてのことを一つの流れとして認識して考えて
いますので論理が噛み合わないことがあるのではないかと思います。
 つまり、私は現代医学に疑問を投げかけている=明日からシャーマンに祈祷を依頼
する生活になるといった図式で考えていらっしゃるようですが、私の考えでは人間は
その活動の中で次第に成熟し、自ら自然に生きることを選択し動物に還って行き、消
滅するととらえておりますので、ご理解ください。
 私のボーダーを示すことはできません。わたしは理想と現実の区別はできています
し、ボーダーなど引くこと自体が人類の歴史にとって無意味であることを認識してい
ますから。
 現実の私の判断は、こうです。
 移植医療を含めて遺伝子や生命工学など、種の存在の根幹に関る医療技術は一時凍
結するべきである。
 それらの研究、臨床応用に関しては、すべて情報を公開し独占や秘密は許されず、
推進にあたっては少なくとも国家単位での国民の意志を確認する必要がある。
 上記の内容を規定した法律と、個人の情報(遺伝子情報も含まれる)、財産(精子、卵
子、受精卵等も含む)とそれに関る権利を厳重に保護する独立した総合的な法律を制定
する必要がある。
 それらが全世界的に統一的な法、制度をもって管理、運営される。
 以上の4点がいずれも欠けることなく、実現されればわたしは移植医療を推進する側
に立ちましょう。
 私の認識では、これほど人類にとって重要な選択を、各国の一部の研究者や官僚の考
えのみでそれぞれてんでばらばらに行なっているということや、個人の尊重とこれだけ
広く認識されているにもかかわらず実態に法、制度が追いついていない現状では、人類
存亡の危険を冒してまで賛成することはできません。
 移植医療では人類は絶滅しません、しかし、その扉を開くことになると私は言ってい
るだけです。
 本日の新聞記事2つがそれを暗示しています。
 科学技術会議のヒト胚研究小委員会の報告書案と国立循環器センターの無断遺伝子解
析事件です。
 技術は一度走り始めたら誰にも止められません。止めることができるのは倫理などと
いう極めて脆弱で流動的な価値感ではなく、科学の力のみです。
 走り始めるためにはそれなりの決意と、準備をしなければならないはずです。
 どこへ走っていこうとするのか、どう走るのか、そのことに何を見いだすべきなのか、
何を見いだせるのか、途中で道に迷ったらどうするのか、誰か助けてくれるのか、怪我
をしたらどうするのか、走りきった後に何が在るのか、その後はどうするのか…。やら
なければならないことは本当は無数にありますが、目の前の人参にだけひかれて走り出
そうとしている方が余りにも多いということに、わたしは警鐘を鳴らさずにおられませ
ん。

じゅにあさんからのコメント(2000年02月04日 02時00分12秒)
           パスワード

冷たいものの言い方ですが・・・点でしか物を考えていないのは、ふりいとさん、あなたです。
生命、種の発生、消滅に対し、人類出現以前に引き起こしていたものはなんですか?新種の発生も消滅も、人類発生以前には無かったことですか?
では、人類の発生はどのように起こったことですか?そこに人類の意志はどう働いていたのですか?

全て自然の成した事です。そして、人類の歴史も、科学技術や農業(砂漠化)の暴走も、人類という「種」の摂理だからこそ、「自然に」起こってきたことなのです。当然、何らかの形で人類は滅亡するでしょう。一切の科学技術を凍結すること自体、人類の「自然の摂理」に反する行為なのだから。「人類が冷静に話し合えば、それができる」ということ自体、「自然の節理」に反していると思いませんか?まあ、承知で言っているのかもしれないけれど・・・

まさか「だからあの時俺は言っていただろう」というために言ってないですよね・・・

さて、話は変わりますが、「科学的再現性」と「事象の反復性」は全く別のものです。ふりいとさんが言っているのは、「事象が反復しているから、再現されている」といっているのと同じ事です。再現は自然に起こるものではなく、実験的に、つまり人為的に再現されなければならないのです。そこのところは間違えないでください。「科学的」な土俵の根本部分です。

まあ、ふりいとさんが言う「再現性」の点で言えば、生命倫理にかかわる研究は、決して止まらないでしょう。火薬からダイナマイトは発明され、細菌兵器も毒ガス兵器も現在も使用されることがあり、核拡散は相変わらず続いています。染色体レベルで改良された食物(小麦)は人類の主要な栄養となり、より多くの食料を求めて、奇形から牛や豚が作られてきたわけです。米にいたっては食べ方まで改良され、その性で病気(脚気)まで出てきています。人類の歴史の反復性から見れば、どんなに騒いでも「止まらない」事も証明されているようなものです(実際には証明されていませんが・・・)。
種の根源にかかわる医療技術なんて、とっくに実用化され、当たり前のものとして使われているのです。むしろそれが一般の人には理解しづらい領域に入ったからこそ、問題になるのです。考えても見てください。胆嚢や盲腸が無い人間は奇形でしょう?でも手術で平気で取っているのです。特殊な貧血では、異常な赤血球を生き残らせるために、正常な脾臓を取る、なんて乱暴な治療もあるのです。実験的に催奇形性がある薬はたくさんありますが、妊娠中でも飲みつづけることもままあります。それも使用を続けるのと中止したのとでどちらがより危険か、という比較実験の結果のことが多いのです。

現代科学は、確かに自然の一部を人に理解できるように解釈しただけのものです。逆にいえば、「私の中ではまとまっている」というのは「現代科学にすら追いついていない」事なのです。言葉にできないのですから。何らかの形、数式でも相関図でも文章でも良い、「僕には」ではなく「知らない人」が理解できるように表現できる必要があるのです。そうでなければ、「倫理観よりも強い科学」とはなり得ません。倫理学すら、現代科学の一部に過ぎないのですから。

150億年の歴史の中では、人類の歴史などごくごくわずかです。それを支えている「言語」の歴史は、さらに少なくなります。そんなちっぽけなレベルで、自然の大きな流れなど変えようが無いでしょう?仮に自然の間違いであったとしても、今の人類の有り方すら「自然の一部」に過ぎないのです。

種の根源を人類がいじり始めてから、恐らく約5000年、その動きを、たかだか数年で止めよう、というのは無茶な話です。そう思いませんか?また、種の根源を犯しているような生が無意味なら、今のあなたの生に意味はあるのですか?

目の前の人参につられて動くのが人間なんです。警鐘を鳴らす、という態度も、所詮この人間のサガからは逃れきっていないのです。未知の領域での予測できない事態に対する根源的な恐怖を克服するために、冷静になれる態度というのは、「危ないから引き返そう」というしかないのだから。恐怖から逃れること、それも「人参」の一つです。そして理論武装はあとからついてくる・・・当然何かを切り捨てなければ成り立たないのですが。全てを見て、あらゆる条件に合う結論は、出るはずがありません。所詮人は「言語に変換できるもの」しか完全には理解はできないのです。感じることはできますが・・・大きな自然の摂理なんて、個々の人間の手には余るんですよね・・・

サラさんからのコメント(2000年02月04日 10時18分38秒)
           パスワード

とても、おーきな話ですね。辞書もひけません・・・・いやいや、一見とても専門的で。

からだの仕組みを解明すれば、病気のメカニズムがわかる・・・・メカニズムが分かればその治療法がわかる。
それをどういう方向で、どこまですすめるか、ここで議論が起きているんだと思いますが。
「種の存在の根幹に関る医療技術」とは、一見ひいてしまいそうな言葉ですけれども、私など思うのは
生まれてこの方、全て「どうして生きているんだろう」とか「なぜ生まれてきたんだろう」ばっかりですよ。
具体的には、とるに足りない、日常の些細な出来事の積み重ねですけれど。

にんじんは、大事です。生きるしかない私たちにとって、こんな大事な知恵はありません。
ちなみに、私たちは自分で自分の目の前ににんじんぶら下げているわけです。これ、本能的知性だと思いませんか?

のいづさんからのコメント(2000年02月04日 21時36分37秒)
           パスワード

 のいづの主張。(凡人にもわかりやすい用語で主張しましょう?)

 移植医療で人類は絶滅しません。誤解を恐れずに言うなら、遺伝子研究や生命工学研究や核兵器でも人類は絶滅しません。

 しかし「生命を慈しむ心」がなくなれば、人類は絶滅ですわ。

 正確に言うなら、人間が「生命を慈しむ心」がなくなれば、そこに生きているのは「ホモサピエンス」という動物のみで、人間としては事実上「絶滅」といえましょうか?

 いったい、ふりいとさんは「人間」の絶滅を憂いているのか?それとも「ホモサピエンス」という動物の絶滅を憂いているのか?よくわかりませんなあ〜?

のいづさんからのコメント(2000年02月05日 00時30分29秒)
 

本人によりコメントは削除されました。 2000年02月05日 00時52分42秒

のいづさんからのコメント(2000年02月05日 00時48分35秒)
           パスワード

 のいづの主張。

>> 皆さんにお断りしておかなければならないのは、
>> 皆さんの考えは点でしか物事を考えていないということです。
>> 私は、すべてのことを一つの流れとして認識して考えて
>> いますので論理が噛み合わないことがあるのではないかと思います。

 ふりいとさんへ。
 上記の発言について、私から言わせれば「すべてのことをたった一つの流れとしてしか認識できない」わかりやすくいうなら「視野が狭いんじゃないの?」

 たとえば、ふりいとさんの主張する「移植医療はクローン技術の応用化への道と繋がり人類絶滅」のシナリオは「超極端な数多くの前提条件・仮定条件が成立した上で実現の可能性が想定される最悪の未来のシナリオのうちのひとつ」にすぎないと私は考えています。

 明日のシナリオはあらすじ程度の予測は可能でしょう?

 しかしながら、長期の未来のシナリオは、最悪から最良まで『何百・何千の可能性』が想定されますし、「中世の錬金術」同様、現代の移植医療やクローン技術そのものも、未来において現代人の頭で想定できない代替技術・代替医療の開発で陳腐化もしくは骨董品化もしくは企業化には採算が取れないとなる可能性だってあるのですよ。

 最悪のシナリオの仮想現実なり妄想なりを信じるのも自由ですし、理由を明示せずに移植医療に反対するのも自由です。

 しかし、私個人としては、「移植医療はクローン技術の応用化への道と繋がり人類絶滅」の主張は、移植待機患者の生命を見殺しにしてまで主張する信念としての絶対的価値がある内容とは思いません。ひとことでいうなら「愚論」ですな。

ふりいとさんからのコメント(2000年02月06日 00時56分32秒)
 

本人によりコメントは削除されました。 2000年02月06日 01時19分38秒

ふりいとさんからのコメント(2000年02月06日 01時03分06秒)
           パスワード

 追加ですが、「現実の私の判断」に対する反応が無かったのは残念です。
 とっても現実的な方針作りに役立つと思うのですが。
 移植医療推進される皆様にもよくよく考えておいていただきたいことです。
 移植医療も含めて、現在の社会に欠如している部分をちゃんと補完しておかなければ、
将来に過去同様の過ちを持ち込み、大きな禍根を生むことになると思うのですが。

ふりいとさんからのコメント(2000年02月06日 01時40分42秒)
           パスワード

 じゅにあさん、申し訳ありません。「点でしか物を考えていないのは、ふりいとさん、
あなたです。」この言葉の後の説明が、私の考え方が点でしか考えていないということ
を理由付けている内容だと私には理解できません。
 また、あなたが自分のおっしゃるように人類の摂理をとらえていらっしゃるのであれ
ば、あなたは人類にどのような希望を抱いていて、そのためになぜ移植医療をしようと
するのか私には理解できません。
 人類の存在は、地球を大きな生命体としてとらえると、ウィルスやがん細胞に酷似し
ているととなえる学者さんもいらっしゃいます。私もそれを否定しません。しかし、ウ
ィルス、がん細胞にも存在の必然性はあります。
 「一切の」科学技術を凍結することはできません。私もそうは言っていません。しか
し、現代の科学技術を必要とし、利用しているのは人間の持つ価値感です。つまり、価
値感が変化すれば、現在必要とされている科学技術も必要ではなくなるということは有
り得る話です。
 また、何度も繰り返していますが、人類はいずれ絶滅します。一個の人間が死ぬのと
同様にです。人間が生まれ死ぬ。生命が発生し、消滅する。そのことの真の意味を理解
する科学を持つことで人間は変わることができるのだと思います。
 「死」を悲しいこと、嫌なこと、無意味なこと、全てを無価値なものに帰するもの、
という作られた価値感に、多くの人が苛まれていますが、それは果たして真実でしょう
か。「死」には意味があり、価値があるという事例は既にあげました。
 また、では人間はどうなれば満足するのですか。不老不死を手に入れれば満足ですか。
それ以上の絶対に傷つかない強固な素材でできた身体も必要でしょうか。他の動物の能
力を備えたりすることも必要でしょうか。それが、皆さんの理想とし目指す自分、世界
なのですか。
 あえて、ここで本題に戻りたいと思います。
 皆さんは、どういう理由で命が大切だと考えているのですか。どうして、移植医療が
必要なのですか。そのことでいったいどのような世界を作りたいと思っているのですか。
どうなれば皆さんは満足されるのでしょうか。
 現在の人間の大多数を支配する価値感で行けは、臓器移植の次は当然クローン人間で
あるということは容易に推測可能です。かつては人間の身体を開けて中の臓器を見るこ
と自体がタブーであった時代がありましたが、現代ではその様なことは迷信、妄想の世
界と考えられています。人間は「足る」ということを、そろそろ学習するべき時期なの
です。
 新しい価値感を創造し、新たな成熟した人類に成長するべき時がきているのだと、私
は言いたいのです。
 「科学的再現性」と「事象の反復性」については私の誤解です。申し訳ありません。
 しかし、私に再現性を見せてみろというのは酷な話ですね。私はその研究の専門職では
ありません。アインシュタインの思考実験レベルでも駄目でしょうか。
 私の頭の中のものを何らかの形、数式でも相関図でも文章でも良い、「わたしには」
ではなく「知らない人」が理解できるように表現できる必要性は重々理解しております。
 その為に、不十分な私の論理をこうしてさらして、どのように説明すればご理解いた
だけるかということを実験しつつ、まとめているのも事実です。それをウェブサイトで
表現したいという野望はずっと持ち続けております。私が生きている間にはなんとか完
成したいと思っております。
 サラさん、私は人参を否定はしておりません。「人参にだけ」と断っているように、
人参という存在も無論必要なのですが、それだけを見ていてはいけないということです。
 また、私もサラさん同様に、どうして、なぜという問いを自分に課し続け、つまみ食
いばかりですが広く浅く様々な考えをいろいろなものから学び、現在世界を支配してい
る価値感自体を変化させることが、重要なのだという結論に至ったのです。
 また、世界はその方向に動いているという実感もあります。同時に相反する動きも感
じますが、これも当然のことで、それによって世界がある程度の安定を保っているので
す。
 のいずさんの主張の前段はある意味であたっています。技術が存在するだけでは絶滅
はしないでしょう。しかし、「生命を慈しむ心」とはどういう論理で具体的にどのよう
なことをすることなのでしょうか。
 わたしは、人類やホモサピエンスの絶滅を憂いているわけではありません。絶滅する
ことは自然の摂理ですから。人間が死ぬことも自然の摂理ですから。しかし、精一杯に
生きるということは当然のことです。生命のエネルギーをあるがままに、すべて表現し
つくすことが生命のあるものの当然の権利であり義務ですから。
 人類の生命を精一杯に表現させるためには、臓器移植は必要のないものです。蝋燭が
蝋燭として燃え、それが燃えつきようとするときに、もっと長く、明るく燃えるからと、
ガソリンを吹きかけるようなことが、本当に必要なことだと私は思いません。
 また、「視野が狭いんじゃないの」というご指摘は、ある意味であたっているともい
えます。ちょっと誤解もありますが。わたしの考えでは、全てのものが「死」に向かっ
て生きていますので、結果としては大きな流れは変わらないわけです。そういう意味で
一つの流れとしてとらえているということを言いたかったのですが、文脈のつながりか
ら言ってこのような誤解を受けることは私の言葉の至らなさが原因であることをお詫び
いたします。
 しかし、超極端な云々という下りは、流れで物事を見ることができない方特有の物事
のとらえ方であるといえます。人間の過去の行動原理、少なくとも二十世紀の人類の行
動原理に照らして考えれば、私の言っていることは少なくとも七割から八割の確立で実
現されるでしょう。人間の身体を開いて見ることすらできなかった時代は何時のことで
したでしょうか。開いて見てから何が起こったでしょうか。
 おっしゃるように最悪から最良までの幅はありますが、では、のいずさんは私の愚論
を批判し、どのような具体的な未来を予想できているのでしょうか。最良と最悪の狭間
のどこを目指していらっしゃるのでしょうか。
 私は、現在の人間の多くを支配している価値感を打破することができなければ、最悪
のシナリオに限りなく近づいていくものと十分に予測できると思います。
 「どういう理由で命が大切だと考えているのか。どうして、移植医療が必要なのか。
そのことでいったいどのような世界を作りたいと思っているのか。どうなれば皆さんは
満足されるか。」ということへの回答をお待ちしております。

な〜さんからのコメント(2000年02月06日 02時37分33秒)
           パスワード

な〜 です

この世に絶対があるならそれは人はいつかは死ぬこと。
そう思っています。

ブラックジャックの中にこんな話があります。
頸椎損傷で手足が動かなくなった母親を子供たちが一生懸命働いて
介護しています。お母さんは子供に苦労をさせたくないと言うので安楽死させてくれるドクターキリコ
に安楽死を頼んでいました。
一方で子供は母親が治るためにブラックジャックに手術をしてもらうお金を貯めました。
キリコは安楽死をさせることなくブラックジャックが手術をすることになりました
手術は成功し母親は治るのですがその母子を載せた車がトラックと正面衝突し
母子とも亡くなってしまいます。

キリコ「あの患者どうだ。助かったかね」
ブラックジャック「もちろんだ。無駄足だったなキリコ」
キリコ「そうかねフフフ。俺は別段君にかぶとを脱いだつもりはないよ。
これからも頼まれればいくらでも死なせて歩くぜ。生き物は死ぬときは自然に死ぬもんだ。それを人間だけが無理に生きさせようとする。
どっちが正しいかね。ブラックジャック」

そこへ病院の医者が飛んでくる

飛んできた病院の医者「ブラックジャック、あの患者が死んだ。病院車とトラックが衝突したんだ」
ブラックジャック「ちきしょう」
キリコ「ヒャーッ、ははははわぁははは」
ブラックジャック「それでも私は人を治すんだっ。自分が生きるために」

私は未だにブラックジャックの意図する「自分が生きるために」ということがわからないのですが、
手塚治虫氏も同じような悩みを持っていたのでしょうか。

医療に携わる者の多くが悩んでいるのではないでしょうか?

自分の患者は身内みたい者です。やっぱり治してやりたいのです。
いつかは死ぬことがわかっていても、幸せな(何が幸せと言われると
困りますが)人生を送ってもらいたいのです。

治療すれば治ることがわかっている患者さんを放っておくわけにはいきません。
今は治らなくても治すための努力(研究活動)は放棄するわけにいきません。

エホバの証人を信仰する方が交通事故で担ぎ込まれました。輸血をすれば助かる
可能性がありました。(このことはいつも問題になります。)
輸血をして医師の過失が問われた裁判もありました。
また輸血をしなかったために亡くなった患者さんがおられましたが
このときは加害車両を運転していた人は業務上過失傷害(過失致死は問われませんでした)となりました。
多分いろいろのケースがあるのだと思います。

医療はどうあるべきかというよりどんな医療を受けたいか個人個人が考える時代になっている
ような気がしますが。

また医療はどうあるべきかを考えるだけでなく、サラさんの言う生きるとは何かを考えることも
必要ではないでしょうか?

のいづさんからのコメント(2000年02月06日 17時54分39秒)
           パスワード

>>  「死」を悲しいこと、嫌なこと、無意味なこと、全てを無価値なものに帰するもの、
>> という作られた価値感に、多くの人が苛まれていますが、それは果たして真実でしょう
>> か。「死」には意味があり、価値があるという事例は既にあげました。

 私は「人間の死」を悲しいことだと思います。嫌なことだと思います。おそらく、これは人間として生きる限り、ほとんどの方が保有する素朴な感情でしょう。

 ふりいとさんは、人間の死に対する「悲しいこと」「嫌なこと」の気持ちを、なぜ「作られた価値観」とするのでしょうか?
 もっとも、社会生活の中で身につける感情としていうなら「作られた価値観」の定義はある意味当たっているでしょうし、同じ「嫌う」でも「死を忌み嫌う」ことには私は異を唱える部分はありますよ。

 しかし、この気持ちがなくなったなら、おそらく「自殺」「殺人」の横行する社会となり、それこそ「人類絶滅」でしょう。

 たとえ、仮に、人間生命の生まれ変わりが科学的に証明されたとしても、人間の死を悲しむ気持ちについては失ってはならないものと私は思います。これが「生命を慈しむ心」の一端でありますな。

 また「無意味なこと」「無価値なことに帰する」とは何を言ってるのでしょうか?

 極悪な独裁者の死によって救われた民族の話などで「意味」や「価値」を論ずるのは可能でしょうし、また、細胞死や一匹の死による種族維持の話もあるでしょうが、なんか、人間の死に対する向き合い方がどこかずれてませんか?

 いったいふりいとさんは「死」には「意味があり」「価値があるもの」だから、「人間の死」に対する「悲しいことである」「嫌なことである」という素朴な感情に対しどう向き合えと主張したいのか否かよくわかりませんなあ〜?

のいづさんからのコメント(2000年02月06日 17時58分31秒)
           パスワード

>> では、のいずさんは私の愚論を批判し、どのような具体的な未来を予想
>> できているのでしょうか。最良と最悪の狭間のどこを目指していらっしゃるの
>> でしょうか。

 「愚論」というのは「移植医療はクローン技術の応用化への道と繋がり人類絶滅」の主張のことであり「バイオテクノロジー」に対する危惧の全部を「愚論」であるとは申しません。

 また、私には長期的具体的全体的な未来予測なんて「できましぇ〜ん!」
 これが、たとえば短期的な部分的な範囲で「染色体の遺伝子解析がいつまでに出来る」というなら、現実に行われている事象でありますので、私ならずとも予測は可能でしょうし、「移植医療で人類は絶滅するかしないか?」など、長か半かの単純な内容なら答えることは可能ですが。

 統計学的手法による短期的な未来予測ならともかく、長期的な未来の具体的予測なんて「あてにならない」ものだと私は考えてます。
 それが出来るのは預言者か神のみでしょうし、気象庁の長期予報や経済学者の景気予想なんて、よくハズレてますでしょう?

 これがたとえば、大地震や災害を想定しての万全の備えというなら、未来の予測が当たろうがハズレようが、備えそのものに関しては意味がありましょうし、無駄ではありませんでしょうが。

 まして、

>> 人間の過去の行動原理、少なくとも二十世紀の人類の行動原理に照らして考えれば、
>> 私の言っていることは少なくとも七割から八割の確率で実現されるでしょう。

 なんてふりいとさんの主張は、言ってることのどの部分がどういった形で実現されるのかわかりませんし、過去の億単位の人間の、過去の行動原理を、ありとあらゆるパターンに照らして検証したのか、それとも、一部の人間の過去の行動原理の一部分をつまみ食いする形で検証して「7割〜8割実現」の具体的な数字を挙げてまでなぜ予想できるのか、よくわかりませんな。(私は後者であると解釈してますが)
 もっとも、「いつか必ず人類絶滅」の予測ならたぶん当たるでしょうし、自分はいつか死ぬことも当たるでしょうが(爆)

 先のスレッドで「中世の錬金術」なんて言葉を出しましたが、いわゆる金鉱石から金を抽出する技術ではなく、普通の金属を貴金属に変化させるという技術ですな。
 錬金術の研究は、化学・物理学の発展にとって数多くの貢献をしたみたいですが、「貴金属の量産化」という本来の目的においては「完全な失敗作」でした。

 現在は原子核レベルの操作で別の金属から貴金属を作ることは原理的には可能になりましたため、「中世の錬金術」は「骨董品的技術」となりましたし、貴金属が通貨として扱われていた中世の時代と違い、今は通貨が「紙」に置き換えられ、貴金属は普通の商品と変わらなくなりましたから、「普通の金属から貴金属の量産化」という目的そのものが意味を失ってしまいました。

 「移植医療」を「失敗作」とは申しませんが、「骨董品的技術」となる可能性だってありますし、クローン人間が失敗に終わるとは言わないまでも、クローン人間の量産化が「失敗作」に終わる可能性だってあるというのは、例をあげればそういうことなわけです。

サラさんからのコメント(2000年02月06日 18時10分38秒)
           パスワード

ふりいとさんは「どういう理由で命が大切だと考えている」んですか?
そして「どうなれば満足される」んですか?

読んでも、読んでも、わかんないので・・・・・完結に、ストレートに、私にもわかるように・・・

サラさんからのコメント(2000年02月06日 18時12分35秒)
           パスワード

あらら、「簡潔」の間違いでした。

のいづさんからのコメント(2000年02月06日 20時36分39秒)
           パスワード

 のいづの主張。

 せっかくですから、あてずっぽうながらの未来予測をしましょうか?

 ・アミノ酸液の固形化による人工臓器の製造が可能になりました。

 ・心臓の特殊な疾患や一部臓器については、心臓停止状態の遺体の化学的処理で移植臓器としての使用が可能になりました。

 ・拒絶反応の問題については、体内埋め込みの医薬品開発で、ほとんどが克服されるようになりました。

 ・クローン技術は、希少動物の再生技術にのみ使用されるようになりました。

 クローン人間は、一部出産形態で使用されるようになりましたが、人間の大多数は「楽しい夜の営み」による出産を選択し、クローン人間の出生は、年間数百人レベルに留まりました。

 ・「クローン人間」の移植医療への応用は、「クローン人間」を動物として扱うことに黒人国家や多民族国家から反対を受け、移植医療への応用は断念されました。


 ……このシナリオがどうなるかはわかりません。(個人的に支持するわけでもない)
 ただ、「人類絶滅」に比べて可能性の想定される現実的シナリオかとも思いますな。

 このシナリオを否定できない以上「人類絶滅の道に繋がる現時の移植医療反対」は論拠の薄いとは申さないまでも、移植医療による人類絶滅を絶対視する論拠にもならんでしょうな。

のいづさんからのコメント(2000年02月06日 21時35分12秒)
           パスワード

 もうひとつ、ふりいとさんの発言について

>> 人類の生命を精一杯に表現させるためには、臓器移植は必要のないものです。
>> 蝋燭が蝋燭として燃え、それが燃えつきようとするときに、もっと長く、
>> 明るく燃えるからと、ガソリンを吹きかけるようなことが、
>> 本当に必要なことだと私は思いません。

 末期ガンの患者や臨終間際の老人に対する延命治療について「安楽死」「尊厳死」の問題を論ずるならいざ知らず、移植医療の待機患者を「燃え尽きかけたロウソク」に例えるなど、はっきり言って腹が立ちますわ。同じロウソクに例えるなら、私だったら「折れかけたロウソク」に例えますが、いかがでしょうか?
 私は移植医療は待機患者にとって必要なもの(必要悪)であると理解してますが、人類にとって臓器移植は必要『不可欠』だなんて思ってませんよ。

 ふりいとさんが移植医療推進に回る条件として挙げた「遺伝子工学研究の世界的管理」、これはこれで素晴らしい提案だと思いますが、仮に「遺伝子工学研究の世界的管理」が実際に実現したとしても、おそらく、私の想定として、ふりいとさんは本心から移植医療推進に回ることはないでしょう?

 移植医療の推進は、強制されて行うものではありませんし、あくまでも「待機患者の生命を救済したい」という自発的意志に基づいて行うものでありますから、別に「遺伝子工学研究の世界的管理が実現すれば移植医療推進に回りたい」なんて、心にもないウソ言わないでもいいですよ。
 むしろ、単純に「私は移植医療に反対です」の主張の方が、まだ良心的・価値的対応かとも思いますな。

じゅにあさんからのコメント(2000年02月06日 21時59分09秒)
           パスワード

ふりいとさん、まず「現実の私の判断」については、僕自身は「そうしたくても無理だよ」という答えを出したつもりです。というよりも、その一言だけのために無駄にあれだけのスペースを通ったわけです。
次に、「人類にどのような希望を持って」いるかについては「自然の成り行きとして人類が出てきたのなら、その場その場で何とかする力がある」ということでしょうか?冷静に考えて、20世紀の人類が、地球環境のためになっていたとは思えません。信じられないようなこともたくさんしてきました。それでもまだ「希望を持って」生きています。そこには、科学では計り知れない「人類の力」があると思っています。それだけです。あえて言えば、「僕は人類が好きなんです。そして、自分が人類であることがすきなんです。」となるでしょうか?好き嫌いに理論は無い、そうでしょ?
また、「不老不死を手に入れれば満足か?」の問いには、「ノー」です。そこには大きな停滞の時間が待っています。その結果に待っているのは、恐らく信じられないほどの退屈・・・この状態に耐えられる人は存在しません。(その辺については、僕はJ.P.ホーガンの「星を継ぐもの」のシリーズがベースになっています。)当然、次を求めてしまうのが「人類」です。だから「癌細胞」なんて呼ばれてしまう。
「死が悲しいこと、嫌なこと」と「無意味なこと、無価値なこと」とは別です。僕は死は悲しく、嫌なことだと思いますが、無意味、無価値だとは思いません。嫌なことを避けようとするのは、人間の自然な反応です。そういうところを子祖隙なのだから、その感情を否定する気はさらさら有りませんが、あんな嫌なことが「無意味なこと」だなんてとても思いません。死ぬからこそ、生命は進化してきたんです。
また、「死が悲しい、嫌だ」というのは、何も人類固有の感情では有りません。子を無くした親が衰弱する現象は、哺乳類レベルで観察されていることです。「作られた」のは「死」という言葉や「悲しい」という言葉で、その事実や感情は別に作られたものではありません。言葉によってさらにその感情を修飾するのは、言葉で物事を理解する人類の特徴だと思いますが、根本の感情事態は、「人類ごとき」が作り出せるわけが無いのです。
さらに、「そろそろ人類は満足を知るべき」というのは、正しいかもしれないけれど傲慢だと思います。そう思えるのは、人類が他の動物と違う、と思っているからです。この未分化さこそが人類の持つエネルギーである以上、そんな進化の根本に、人類が踏み込めるとは思いません。それだけのことです。
まあ、あの文章から、自分の見方が「まず結論ありき」になっているのに気づくようなら、あんな提案ができるとは思ってなかったけど。

「どんな希望を持って移植医療を進めるのか」には「一人でも助かるようにしたい」だけです。これは、僕が持つ人類に対する希望は「やさしさが世界を包めるかもしれない」という感情だからです。動物の中で「やさしさ」で飯が食えるのは「人類」だけでしょ?まあ、「現代人」だけだけど。だから、この文明を捨てる気なんて有りません。
僕は、人類の特徴は、実は感情がとてつもなく大きいことだと思います。この感情を爆発させてしまえば、後で困ることが多い、だから技術や科学が生まれてきたのだと思います。だから、俗に言う「正の感情」を大切にしたい、と思っているし、「地に足のついた」考えこそが大事だと思います。だから、理性より感情のほうが大事で、より多くの人の感情が「すき」の方向へ行くようにすることが科学や技術の役目だと思っています。どうせ希望だって感情の一つでしょ?
最後に、人類だけが地球の歴史を変えられる、というのは、ちょっと自然をなめているんじゃないですか?どうせ現代文明なんて、歴史の中では点みたいな物なのです。人類が無理して止めなくても、邪魔ならさっさと消えます。無理に否定することよりも、負の感情になら無いように気を付けながら流れに乗るほうが、「僕は好きです」。

じゅにあさんからのコメント(2000年02月06日 22時06分09秒)
           パスワード

あ、すみません。ふりいとさん、一つ忘れてました。
「科学的再現性」については、端から証明できると思っていません。それができるくらいなら、科学の中で一番歴史の長い「哲学」に、もう少し分かりやすいものが出てきているだろう、と思っていますので。ただ単に、「私の科学」という言葉が嫌いだっただけです。すみませんでした。

後、思いっきり蛇足ですが、移植医療の進歩で、「信号無視が死刑になる」時代を描いたSFがあります。さらに、その後「人工臓器」が完成して、その法律が廃止された後の世界がシリーズとして描かれています。本が手元に無いので、誰のシリーズか分からないままですが、ご容赦ください。今度実家に帰ったら探してみます。

な〜さんからのコメント(2000年02月07日 12時09分55秒)
           パスワード

な〜 です

死というものについて一言

これまでの日本社会では、3世代同居、時には4世代同居の家が多くありました。
その中で例えばおじいちゃんは元気に畑仕事をしています。それがいつしか畑が出来なくなり
家の周りの草むしりをするだけになります。さらに家から出ることは少なくなり家の中で
近所の人とお茶を飲む事が多くなります。少しずつ体力が弱っていきます。病気になれば寝込んでしまいます。
家族はそういうおじいちゃんの変化を見ながら「死」を意識していきます。

病院に入った場合どうでしょう。今まで元気に畑仕事をしていたのに急に病気が見つかり
入院。病院の面会などで接する時間はごくわずか。身体の変化に気づかないままに
いつの間にか弱っていく。日常生活の中におじいちゃんがいないからなかなか
「死」を意識することが出来ない。

ましてや、最近の核家族化でおじいちゃんと暮らしていたわけでなければなおさらである。

こういう風に「死」は病院の中に追い込まれ日常から孤立化し「死」が忌み嫌われるようになったと
言われています。

なるほどと思っています。

移植医療について一言。
臓器移植が出来ると言ってもあくまで一部の臓器です。
神経細胞(脳、脊髄、手足の神経等)は移植できません。
体に栄養を運ぶ血管の多くが移植できませんし、リンパ管だって
移植できません。
移植医療が発展すれば出来るようになるとも思えません。
(なっても何十年も先でしょう)
だから移植医療で人が死ななくなるとも考えられません。

ふりいとさんからのコメント(2000年02月09日 21時28分05秒)
           パスワード

 皆さんからの回答をお待ちしていたのですが、残念ながら回答いただいた方が少なくて、が
っかりしております。
 まず、死が嫌なもの、悲しいものでないという人達がいることを私は知っています。
 その社会で自殺や殺人が横行などしていないことから考えると、死を忌み嫌うことが自然な
感情と必ずしも言い切れないということであり、社会、文化、価値感の問題であるという可能
性も否定できないということだと考えます。
 もちろん、両方だとは思いますが。ある程度の知能レベルになれば、自分以外のものに対す
る愛着の感情が生じることもあるでしょうし、自分自身が死なないように振る舞うということ
は自己保存の法則に則ったものだからです。
 な〜さんのおっしゃるとおり、これからは個人が死ぬことも生きることも、自分自身がどう
行動し、責任をとるかということも本人が選択する時代であり、そうあるべきであると考えま
す。まだまだ、社会的な環境は整っていませんが。
 私の意志を誤解ならまだしも、勝手にあたかも私がそうだと言っているように表現されたり
するのはいささか本意ではありませんが、それも自分の考え方や言葉の至らなさと反省し、私
の考えていることの整理をし直し、説明の能力向上がはかれるまで、一旦このスレッドを中断
させていただきたいと思います。
 ご理解はいただけないのは当然と認識していますが、わたしの考えを述べさせてください。
 まず、私達が生きている、存在していると考えているこの場は、実際に存在しているのでし
ょうか。量子力学の考え方を応用すると、存在と非存在が揺らぎながらそこに存在するでもな
く存在しないでもないという状態なのだそうです。
 また、自分という存在は、自分が認識しているように確固として揺らぎのない存在なのでし
ょうか。一方、自己がその様な確固とした存在であれは、他人や他のものと真に理解し合い、
一つの意識を共有し合うことなどできるのでしょうか。
 私は、この私がいると感じている世界も含めて、すべてが混沌という一つの存在、いえ、存
在ということすらわからない他のものと区別するための境界などないものであり、そのなかで
ちょっとした偏りや濁りが生じた状態が、人間のとらえている存在という状態であると考えて
います。
 生きていると思うもの、死んでいると思うもの、目に見えるもの見えないもの、全ては本当
はひとつ、いえ、ひとつとも区別もできないから「無」なのだと考えています。
 その状態での絶対の真理は自然の法則だけです。人間がたわむれにその法則を自分勝手に解
釈して、淀みを作り出したとしても、他のものと同様にすぐに消えてなくなることは自然の法
則を当てはめて考えれば容易に結論がでます。
 私は、はっきりいって人間は嫌いです。絶望しておりました。しかし、自分が人間であると
いうことを受け入れ、愛することができるようになりました。また、自分自身が人間として存
在する過去から未来への歴史の中での位置というものも認識できるようになりました。
 私の理想とする状態はまさに、宇宙、自然との一体化、「無」になるということです。
 そのためには、全ての執着から自らも解き放たれるということであり、それは同時に全ての
ものが同じように無になるということでもあります。皆さんの目から見ればそれはまさしく「
死」という状態に見えることでしょう。全ての破壊、存在がなくなるということ、自我という
認識のない世界ですから。
 しかし、私には世界がそれに向かって流れているということは実感として感じることができ
ます。人類が将来どのような道を選択しようともそれは変わらないことです。
 ですが、私は人間として、人間がどうすればその流れに自然にしたがっていけるのかという
ことを考え実践する義務があると考えているのです。少なくとも地球上の森羅万象をつぶさに
見ていけば、自然に生きるということはどういうことか、人間のしてきたことを否定すること
なく本来の流れに戻るにはどうすればよいかということは、自分自身の感覚として理解できる
はずなのですが、自分が生きてきた、自分に与えられたごくわずかな偏向された情報でしか物
事を見ることができない人間が多すぎることがまだまだ課題なのです。
 ただ、人間の科学は自然を解釈するために存在しますので、私の考えていることを科学がず
っと検証してきてくれていますし、私と同じ考えを持つ人は確実に増えています。
 自分自身の目で見、心で感じ、それを更によく練り直し、真実を見抜く目を持つ努力を続け
ていただければ、いえ、それも必要ないでしょう、いずれわかることですから。
 私は私のできる限りのことをやるだけです。
 哲学とは、誰かに教えてもらったり、与えられたりするものではなく、自分自身の体験と、
想像力を働かせて、真実を見抜く力を養うことから身につくものです。
 私も皆さんに理解いただける話ができるよう、より研鑽に励みます。
 おつきあいいただきましてありがとうございました。言葉が足らずにみなさんにご不快な
思い、誤解等を与えてしまったことを、お詫びいたします。

じゅにあさんからのコメント(2000年02月09日 22時58分45秒)
           パスワード

そこまで自分の考えだけは正しい、と思えるなら、それも良いでしょう。
ただ、その考えすら「量子的なもの」であることは、どこかに忘れてきているんですか?

現代物理学が、仏教哲学と出会い、何とか全てを折り合わせようとしているのは事実です。でも、確固たる存在が無いことと、「無」とは明確に異なります。それが「場」の概念でしょ?

作者名は忘れましたが、「セックススフィア」というSFがあります。かなり近い概念を扱った物です。それとも、もうご存知ですか?

僕は、全てが「無」に向かっているとは思っていません。なぜなら、時間軸が消滅しても、エネルギーは消滅できないからです。当然定量化は不可能ですが。そんな中で、人類のもつ判断基準の中で、一番確実なものは、シンプルな相対的な比較である「すき、嫌い」であると思っています。

サラさんからのコメント(2000年02月10日 09時56分02秒)
           パスワード

スレッド中断とのこと。
私が大事にしたいと思っているのは、大きな流れと小さな日常を両方現実として捉えること。
大義のために日常を切り捨てるようなことはしたくないです。

ひとつ、ふりいとさんにお願いがあります。
ふりいとさんは多分、ご自身の考え方・意見を絶対的なものだと確信していらっしゃる。
間違いがないと思っていらっしゃる。
そういう方もいるよなあ・・・・・とは思いつつも、その時に、ふりいとさんの考えから言えば
絶対に許されない状態の人や状況に対して、いささか暴言ともとれる表現を繰り返されてきたと思います。
次回からは、もう少し考慮していただきたいと思います。お願いします。

意見を述べあうこと、議論を重ねることは無意味ではないと思います。
全く接点がないとは思えませんし。互いに歩み寄ることは常に必要な行為だと思います。

失礼ながら、ふりいとさんご自身の中でも、理論がまとまっているとは感じられません。
逡巡もあるでしょうし、新しく吸収した知識に影響も受けるでしょうし、出会いが心を動かすでしょうし。
一つの方向性を維持せんが為に、いささかエクスキューズを多用され気味ではないかなとも思います。
なかなか、すっきりと理論がまとまらないのが、この世の難しさだと思います。
それは、かくいう私も当然のことながら同じこと。
でも、まとまらないなりに、日々を生きて行くんですから、なんとか答えを出していかなきゃなりません。
この世をすっきりと論じられる方は、皆無ではないかなと。
時折登場するカリスマ志望の指導者らしき人が、無茶な考えを正当化するために無茶な事件を起こしますよね。

そして、今の考えは、今の環境の中で、今の知識で、今の感覚で構成されているものであって、
まだまだ変化していくものだろうと思います。また、別の機会に話しましょう。



この投稿に対するコメント

コメント:HTMLタグは使えません。改行は反映されます。


お名前:(省略不可)

削除用パスワード:(省略不可8文字以内)

メールアドレス:(省略不可)

URLアドレス:
 ホームページをお持ちの方のみ、そのURLアドレスを記入してください。



Copyright(C) 2000 Tips. All Rights Reserved.◇  DB-BBS-system V1.10