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投稿番号:43055 投稿日:1999年12月07日 19時36分31秒  パスワード
お名前:木曜D・倉科
 

8日新庄でのファックステーマは「ふるさと」!

キーワード:新庄 ファックステーマ ふるさと

地域:関東


もこしゃんです!
いよいよ山形新幹線「つばさ」新庄開業記念で、今年最後の出前アヴェニューです。
さあさあ、あなたも参加してね〜!!
ファックステーマはズバリ「ふるさと」!
あなたにとって「ふるさと」ってどんなところですか?
生まれ故郷としてだけでなく、いつどこに行ってどんな事を感じた時、
ああふるさとだなあと思いましたか?

ちなみに・・・
昨日観てきたさだまさしさんのコンサート、今回のツアーのテーマがふるさと。
思いっきりノスタルジー&郷愁を誘って、キュンキュンするんだな〜。

さあ、これから出発!どうも吹雪らしい・・・さぶ。
あっ、でも会場は「ゆめりあ」。あったかい室内だから、心配せずに来てね!

ファックステーマの書き込みもお忘れなく!


上田のカリメロさんからのコメント(1999年12月07日 20時33分56秒)
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ふるさとへの帰省の列車の予約、今年はどうでしょうか。
高速道路は、どうでしょうか。
お土産は、お料理は。と忙しい季節になりました。そして、ふるさとを感じる季節にも。
私は、お正月3日に高校の同窓会があります。学年8クラス全部でやるのは、初めてです。2000年を記念してとのことですが、今からとても楽しみ。
ふるさと、友達。みんな、それぞれの生活の中で懐かしい想い出ありますよね。
でも、ちょっぴり悲しい想い出しかない。という方もいるので、この辺で。

上がりやさんからのコメント(1999年12月07日 20時50分01秒)
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通り名「上がりや」で呼ばれている、我が家にとってのふるさとは、北アルプスの奥深くにある、一軒の山小屋です。
昭和初期に、曾祖父、祖父の力で建てられたその小屋のお陰で、冬は炭焼きだけで食うことができたそうな。
でも、父の幼い頃に二人とも相次いで亡くなり、生計のために終戦直後に売られてしまいました。
その小屋を、今から数年前に子孫として初めて訪れたとき。「やっと帰ってきたなぁ」という気分になれました。
胎内帰りとでも申しましょうか。そんななつかしい気分にさせてくれたこの小屋を、末永く愛していきたいと思っています。今のオーナーが、気骨あるすばらしいお方なので、それだけでもうれしい思いになれます。

福岡の鉄分がほしいょさんからのコメント(1999年12月07日 20時56分32秒)
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山形新幹線新庄延長、おめでとうございます。
山形開業のときは、新幹線の試乗の仕事で山形に出かけましたが、これがつい昨日のことのように思い出されます。

今回のFAXテーマの「ふるさと」。
我がふるさと福岡県飯塚市の光景で一番印象深いのは、なんといってもボタ山。炭坑から掘り出された石炭から出てくるカスを積み重ねていくと、富士山みたいな山ができてしまいました。よそ者にとっては一種独特の異様な光景ですが、飯塚をふるさとにするものにとっては、これがあってこそふるさとというものです。
あと、ふるさとのお菓子といえば、千鳥饅頭とひよ子。東京に出かけると、ひよ子は「東京銘菓」にされているから困ったものですが(!?)...

はのすけさんからのコメント(1999年12月07日 22時10分27秒)
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南こうせつさん&かぐや姫の歌で、、、
「鳥が鳴いて〜〜川が流れてぇ〜〜野山は今花が咲き乱れぇ〜〜♪」の出だしで始まる、『ひとりきり』という歌ありますよね。あの歌はいい歌ですよね。

その2番めで「親戚が集まりぃ〜〜酒を飲んでぇ〜〜今年は豊年だぁ〜♪」というくだりに何とも言えない郷愁を感じます。
核家族ではなかったその昔、親戚連中が結構集まって酒を飲み交わしていたことを思い出します。
わたしの父方が9人兄弟、母方が7人兄弟だったので、小さい頃「あのオジサンはどこの誰だっけ?」なんて分からなかったこともありました。
今はねぇ、兄弟がないか、あっても2人か3人くらいが多いので、正月とかに集まってもなんだか小じんまりとしてますもんね。

今はもう父方の兄弟は父を除きみんな亡くなってしまいました・・・
なんだか叔父叔母が元気だった昔が懐かしくなってきました。
うん、『ひとりきり』をリクエストしましょう!! あぁ聞きたいなっ。

ちまちまさんからのコメント(1999年12月07日 22時54分20秒)
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 ふるさとといえば、「こたつ」です。
 昨日の、忘年会の2次会で「ワンショットバーに行こう」と誘われてついていったら、カウンターを通り過ぎ狭い階段を上った先の二階には、古い下宿屋のような4畳半の部屋が2つ。そして、そこには小さなこたつがあったのです。
 6人でことつに足をつっこんで、話したことは「大学時代」の下宿や寮の話。
 それがいつの間にか、高校時代の好きだった人の話になりました。
 好きだったのに、言わないまま別れてしまった女の子。掃除の時、けしてきれいではないその子の仕草が夕日の射し込む教室で忘れられないほど美しかったこと。普段なら、とても話せない話が自然にできたのは、やはり、こたつのマジックでしょうか。
 みんなでこたつを囲んで座り、お酒を飲んだり、ミカンを食べたりしていると昔の子供の頃の田舎の正月を思い出しました。
 誰でも、心の中に小さなこたつのある部屋が、、、あるんじゃないですか?

ジェイクさんからのコメント(1999年12月07日 23時04分55秒)
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高校生のころ、父の仕事の手伝いで、ある村に行ったんですが、そっこに行った瞬間懐かしいような、心地いい雰囲気が漂って、思わず「こんなところで暮らせたら良いな」と言ったんですが。
その、数年後その村から、嫁さんをもらうなんてびっくりでした。

さんからのコメント(1999年12月07日 23時22分56秒)
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 どうも〜♪ 今晩はぁ〜♪

 ふるさと・・・私は、いまから5年前ほど前佐賀県に住んでいました
佐賀にいる間は、一度も鹿児島に戻らずにいました
仕事を辞めて鹿児島に帰って着た時
母が、玄関で「おかえり」と言ってくれた時
私のふるさとは、母なんだと思いました

      ではでは。。。 (^.^)/~~~

真空パックさんからのコメント(1999年12月08日 01時27分42秒)
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この人とは、一生の友達でいよう、と思っている友達と一緒にいるとき。
場所じゃないんですが・・・。

菜の花さんからのコメント(1999年12月08日 05時48分08秒)
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故郷を離れ住んで、もう20年近くになります。
もっとも県内だから、車を飛ばして4時間もあれば帰りつくけど・・・

今はそうでもない様子だけど、南国宮崎ながら、
わたしが高校生の時くらいまでは、雪が積もりました。50cmくらい
星が日本一綺麗に見える所と言う事で、何回かは一番になっています。
梅雨前はホタルも綺麗です。本当に蛍が、乱舞していてとても明るく
「蛍の光」の歌詞通りでした。

故郷と言って一番に思いつくのは、庭の中に小川が流れていて
その向こうに山茶花の花が、今ごろの季節になると、
窓から見える、私の大好きな風景でした。
でも今はもう道路拡張に伴い、小川はなくなってしまっています。
移植された、山茶花は毎年咲いています。

ふりいとさんからのコメント(1999年12月08日 06時38分56秒)
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「ふるさと」といえば、私の場合どこになるのでしょうか。
生まれたのは徳島ですが、高校卒業までは愛媛に居て、大学は東京に出て行き、
就職して高知に赴任し、転筋で宮崎へ活きました。
一般的には、育った馴染みのある愛媛県の某市ということになるのでしょうが、
私の場合そこにはあまり愛着を感じていません。
現在は、転職して再び高知に戻ってきています。私にとって高知は何故か特別な
街のようです。高知市だけでなく高知県という存在自体がふるさとといった感じ
です。
理由はおそらくそこで作られた思い出のおかげなのではないかと思います。
中学高校といった多感な時期の出来事よりも、大学時代の出来事よりも、高知で
の思い出は私の人生にとってとても大きな影響を与えたのではないかと思います。
宮崎も、暮してみるとすごくいい場所で、そこで出会った人たちは離れ難くなる
人たちばかりでしたが、転職にあたって選んだ場所はやはり高知でした。
宮崎に転筋になってからもよく高知に行きましたが、やはり何故か帰ってきたと
いう感じや、からだにしっくりなじむ安心感や満足感といったものを感じていま
した。
そういうわけで、わたしの「ふるさと」は高知ということになると思います。
多分、永く住むことになるのではないかと思います。宮崎にもまた住んでみたい
とは思ってますが。できれば波乗りが出来るうちに。

あだ@さくらんぼ東根駅迄15分さんからのコメント(1999年12月08日 07時27分05秒)
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生まれてこの方、故郷を離れたことがありません。
今となっては後悔しています。かなり甘い人間に育ってしまいました。

心の故郷はあります。
東根
高校3年間通ったところ。冬の間自転車で行けない時は、今のさくらんぼ東根駅の前あたりのバス停からバスで帰っていました。
そこはこの間までレコードの針を作っている会社があって、私が高校の時CDにとってかわられてからも、意外と需要のある針を作っていました。

朝日町
ホームゲレンデAsahi自然観のあるところ。りんごとワインの町朝日町。
アマチュア劇団の活動拠点で、半分町民みたいになってしまいました。町の人からも「え〜!?朝日町の人じゃなかったの?」と言われる始末です・・・・。
人の素敵な町でもあります。

花巻・遠野
宮沢賢治に憧れて何度も通った町。

乗鞍高原温泉
心のホームゲレンデ?まだ、雪のある時に行ってはいませんけど・・・・・・・。

もうすぐ30歳になります。20代の間、すっと居場所を求めていろいろなグループに顔を出してみたりしました。
今、ネットを使って作ったスキー仲間ができました。
これからどんな話が始まるのか、どんなドラマが待ちうけているのか?
充実した30代をすごしたい・・・。そんな気持ちです。
この冬は蔵王が故郷となりそうです。

TAKEGONさんからのコメント(1999年12月08日 07時53分07秒)
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>私のふるさとは、母なんだと思いました

私も同じ思いがあります。もうずいぶん前に逝っちゃいましたがさぁ、、時々、ここで昔のことを書いたりすると思い出します。
昨日も、ちまなゆ母さんのスレッドで、、ははん、、あんなこともあったなぁ、、、なんてね思い出してました。
病気したときなんかは、とっても 大きな大きな頼れる存在で、心のふるさとは母なんだと思ってます。

こんなカンジの一家でした(^o^)
http://www2.justnet.ne.jp/~takedagon/izakaya1.htm#i1-3      

かーやさんからのコメント(1999年12月08日 08時05分03秒)
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小さい頃から、転勤族の父について西日本を中心に転々とした私にとって
故郷、その土地にずっと暮らせる土地っ子はただただ憧れでした。
そんな私でも、行った先々での大好きな風景は心の中で良い思いでと結びつき、
根っこ、拠り所になっている気がします。
小学校の時の多摩川の土手の散歩。中学高校大学の嵐山渡月橋界隈
岡山の旭川。こう書いてくると河・水のある風景が私の故郷なのかな
今は光の美しい海岸がお気に入り、辛くなったら行って泣いてきます。

PYONさんからのコメント(1999年12月08日 08時36分52秒)
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祝・山形新幹線延伸!

なにしろ私自身が「ふるさと」に住んでいるので、帰省の大移動が「大変だなぁ〜」と思いつつちょっとうらやましかったりします。
冬は北へ旅に出たくなります。JR完乗に向かってローカル線を一生懸命に乗りつぶしているので、昼アヴェのリスナーである誰かのふるさとにもお邪魔していることになりますね。鉄道写真を撮るのにえっちらおっちらと雪の中を歩いていて、ふっと立ち止まるとしんしんとした静かな“音”が聞こえてきて、なんか懐かしくなることがあります。
こういう瞬間があるから、病みつきになるのだなぁ。

鉄道写真家の真島さんは文章もすごくよくって大好きな写真家なのですが、昨年の卓上カレンダーで、雪の中をしずしずと行く列車の写真にこんな文章をつけておられます。(うろおぼえで端折っちゃう。間違いもあるかもしれませんけど)

駅で故郷から東京に帰る人と話していたら、その人のふるさと自慢になった。
じゃあなぜふるさとに住まないのかと訊いてみた。
「ここは、ちべたいから・・・」

こんな感じのことを書いておられたのですが「うーん、深い・・・」とうなってしまいました。



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