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投稿番号:102309  投稿日:2015年12月02日 19時33分48秒 パスワード
お名前:タケゴン
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大変だったおもひで

地域 :その他

今日は良いお天気だったので、久しぶりに洗車しました。
今もZに乗れる幸福をかみしめながら、4年前の今日を思い出しつつ・・・

“大変だったおもひで”を書きます。

[1]タケゴンさんからのコメント(2015年12月02日 20時16分32秒 )
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ガケから落ちて大ケガしたことは、もこ伝で何度か書きましたが
今日、12月2日は「落ちた記念日」なのであります。
いつか詳細に書こうと思ってましたが、今日書くことにしました。

4年前の2011年12月2日。この日も良い天気でありました。
その当時やってた仕事で降雪まえの現場写真を撮れる最後のチャンスか?
と思ったのが、そもそものまちがいのモトか、、、。
(道路脇の斜面が安定しているか・どうか?を判定する仕事をやってました)

その現場には2度行ってるけれど、天気がよくなくてパッとした写真が撮れなかったり
せっかく崖下におりたのに、そこからの写真を撮り忘れてしまい(-_-;)残念感がありました。
写真が無ければ無いで別の角度からの写真でも良かったのですが
A型の悲しい性か、、、「完璧」を求めてしまいます。
タケゴンをご存じの方は知ってるかと思いますが
不肖は毛髪以外にも抜けてるところが多々あって、決して完璧な完璧主義者では無いけれど
小さなことが気になると気になってしかたがなく、解決しないと気がすまない性分なのです。
(こんなとき、おおらかなカヨちゃまがうらやましくなったりする)

撮れるモノなら撮っておきたい。

そんなことを思いつつ、以前崖下から登ったルートとは逆ルート
(近道:木にしがみつきつつトラバースする)で斜面を下り始めました。
オレの体力もまだまだ捨てたんじゃないと思ったけれど(じっさいにそう思った)
下りの近道は危険なことに気がついて(足下が確実じゃない。もっと早く気がつけ)
ひきかえそうと体の向きを変えた瞬間、
掴んでいた枝が「ポキッ」と音をたてました。

えっ? ポキッて何の音(?_?)

冗談じゃないよ。アニメでよくあるシーンみたいじゃん。。。
と、0.03秒くらいの間に思ったりしましたが、冗談じゃなかった(>_<)

うがっ

[2]タケゴンさんからのコメント(2015年12月02日 20時56分25秒 )
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「木が生えていれば、どんな斜面も上り下りできる」
そんなことを思って20年以上仕事をしてきました。
けれど、ああ、まちがいであることに気がつくのが遅かった。

直高15mの斜面で、目の高さが道路と同じくらいまで下がったところからの滑落なので
13m程落ちたことになります。上部8mは70゜,下部5mは垂直の絶壁ですが
今さらながら、凄いところから落ちたものです。

玉石がゴロゴロする、水深20cmくらいの河原に落下。
強烈な痛みが全身を貫きました。目から火花が出た。しかし、意外と冷静です。
まず、手足を動かしてみて動くことを確認。
脊髄は大丈夫。とりあえずはホッとしました。

立てるか?立てなくても水の無いところに行かなくちゃ・・・
と、立ってみると股間が熱くて(スケベな熱さではなくて)重くて痛くて
もしかすると骨折してっかもなぁと落胆(/_;)
おまけに胸の下をさわるとベコベコする感じもするし、肋骨もいってるかなぁと分析。
でも、しばらく横になると痛みはひくかも?でも、どうやって上るかな・・・
自力は無理だとして、どうしたら良いか。
午後の予定はキャンセルかな、、と、まだ事態の重大さに気がついてなかったりしましたが
車を近くの広場に置きに行った同行者が戻り、異変に気がついてくれました。

「おーいっ 大丈夫かぁ?今、オレも今行くぞぉぉ」
「ダメっ 無理!」(よく こんな声が出たと思います)
「んじゃ、救急車呼んでくるから 待ってろっ」

ひとり河原であお向けになり、青空と流れる白い雲を見上げるタケゴンなのであった。
休めば痛みも治まるとたかをくくってたけれど、それとは逆にどんどん痛くなってくるし、寒くなってくるし、体もふるえてきたし、もしかすると、ここで死ぬことになるのかな?

そんなことを思いはじめてました。
携帯を見ると圏外の文字が(>_<)

うがががっ

[3]タケゴンさんからのコメント(2015年12月02日 21時47分35秒 )
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聞こえてくるのは河原のせせらぎの音だけです。
こんな寂しいところで死にたくないなぁ。

もし、死んじゃったら、、、、

この2日ほどまえに「パパがケガをした夢をみた」と電話をくれたママは悲しむだろうか
もう もこさんに会えないのは寂しいかも。
チャバさんと似てるってもの、なんだかなぁ、、。
Zのタイヤをスタッドレスに換えたばかりなのに乗れないのは残念かも・・・
それにしても、人って意外と簡単に死ぬものなのかもしれないなぁと考えてました。
時間の短縮に安全を軽視した自業自得な因果ではあるけれど、残念すぎる。。。
「後悔先に立たず」とはこのことか・・・・と、悲しくなりかけたとき

「がんばれー!!」っていう女性からの声援が聞こえました。

同行者が崖下からひっぱりあげるのに救急隊員だけでは困難と判断したようで
地元の人も大勢連れてきてくれたようです。
また、川の対岸から毛布を持って、水しぶきをあげて駆け寄ってくる人の姿も見えて
もしかして助かるのかなぁと、ホッとしたのをよくおぼえています。
「がんばれ」っていう言葉がとても嬉しかったり
「もう大丈夫ですよ」という救急隊員の方々の優しさにも感動しました。
思わず泣きそうになったけれど、痛みが激しくてそれどころではありません。

担架に乗せられ、縛られないと崖の上に上がれないことはよく知ってます。
しかし、体に触れられると超激痛が走り、勘弁してくださいっ。
と言いたくなったけど、助けてもらってるのにそれは言えませんで
苦痛をひたすら耐えました。
それだけでなく、肺も破けたためか呼吸が少しずつ困難になってきて、
こらえてもこらえても、情けないことにウグッという声がでしてまいます。

救急隊員の方々5〜6人と地元の方が20人ほどでタケゴンを引っぱりあげてくれました。
人の親切が身にしみて嬉しく感じましたが、たぶん顔面は蒼白でありました。
(大方の人は「もうダメみたい」と思ってたらしい)
救急車に乗ると、名前や生年月日を聞かれ、服を切断して良いかの許可も求められたりしました。
痛いのはガマンできますが(できないけれど)息が小刻みにしかできなく、
ウガッ ウガッ を連発しながら返答
その「うがっ うがっ」は何?
と とぼけたことも聞かれたけれど
「苦しいんですぅぅぅぅ ウガッ ウガッ 昭和 うがっ32年 うがっ、、ごがつ、、」
とこらえるタケゴンなのであった。

うががががっ(>_<)

[4]タケゴンさんからのコメント(2015年12月02日 22時38分35秒 )
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同行者とは事務所の所長で直属の上司ではないけれど、色々と現場仕事を手伝ってもらったりしてました。たいがいの事ではビックリしない人生の達人的な人でしたが、相当ダメっぽく見えたのか、やはり蒼白な顔をして一緒に救急車に乗ってくれました。

救急隊員の方が電話しつつ診断してくれて、A病院からB病院に行く先が変わったのもウガウガとわめきつつ把握できました。若いけれど、なかなか立派な人たちです。

B病院に着くと手際よく運搬され、レントゲンを撮られてすぐに手術室に入りました。
先生は3人いて、いちばん若そうな人が「えっオレが?」というようなやりとりが見えまして、この人で大丈夫かと心配しましたが、心配ご無用。

「胸に血がたまっているので、それを抜く管を入れます」

の説明があって、即座に右の乳首の脇を切られました。血がプシュッとはねたのがよく見えまして、そのあとにグリグリッと強引に管を入れられました。これもまた、衝撃的な痛さでビックリしましたが、呼吸困難はあいかわらずです。
「せんせぇぇぃぃ まだ痛いし 息ができましぇ〜ん」と訴えましたが
「じきに楽になります」との看護師さんの声。
チンチンにも尿を抜く管を入れられましたが、それもまた初めて味わう痛さでした。

腕には痛み止めのモルヒネの点滴が刺され、処置が終わる頃に呼吸も楽になったのが一番嬉しかったです。また、体中が痛かったのに、不思議なことに痛みがとれました(だから、薬が効いてるの)。痛くないといっても、じっとしてればのハナシで首を少しでも動かしたら超激痛でした。右手、右足は動かず、左半身は動かそうと思えば動くけれど痛すぎて動かせず、ただじっとマッスグに寝てるだけ。

病室に入り、所長とふたりになって
「大変なことをしでかして すみませんでした」と謝ったとき
初めて涙がこぼれました。
「そんなことはいいから、命はあったんだし、今は体を治すことだけ考えることさ」
と言ってもらえて、また涙 涙でありました。

うがっ(T_T)

[5]タケゴンさんからのコメント(2015年12月02日 23時40分43秒 )
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概ね3週間入院しました。モルヒネは一週間ほどで外され、リハビリは3日目くらいから容赦なく始まって、けっこうキツいことやらせるのぅと思いましたが、やはりキツいくらいが良いようです。

歩くってどうすればいいんだろうか?
マジめにわからないくらい、足がいうことをきかなかったけれど、退院する頃には杖で歩けるようになりました。

モルヒネの副作用で点滴している間は四六時中眠かったりしたけれど、それが外れると今度は事故を起こしたときの後悔とみんなに迷惑をかけた申し訳なさ、これからどうすりゃいいのか等を思うようになって、今度は眠れなくなりました。それで睡眠薬も出してもらったけれど、あんまり効かなかったような気がします。

クリスマス頃に退院して会社に挨拶に行ってから自宅療養に入りました。
そんなときに「事故が新聞沙汰になったこと」「指名停止」の行政処分があったことを知り、やっぱりそうかとかなり落胆しましたです。
自分の持ってた仕事を同僚に分担して片づけてもらっただけでも申しわけないのに、会社がペナルティを受けることになった事態は別の意味で重大です。

「みんなに会わせる顔がないので辞める。辞めたい。辞めさせて。。」
と、ツマに弱音をはいたのはこの頃です。
「みんなに助けてもらっておいて、逃げるんか。それはタケゴンがふだんいってる事とは違うんじゃないのか?ここで逃げたら もこさんに会わせる顔もなくなるぞ」
とのキビシイ一喝。
カヨちゃまは恐いときはこわいのです(^_^;)

そんなこともあって、もんもんとしつつ自宅でのリハビリにハゲみ、杖無しでも歩けるようになり、ついに退院後初めての外来診察に行く日が迫りました。

行けば「会社に復帰してよし」の太鼓判がもらえるわけです。
本来ならばめでたい日だけれど、どんな顔をして行ったらよいかわからず、再びもんもんとして夜中に目が覚めました。

2012年1月18日(水) の音楽自由区。
ホームページをクリックすると「4:21 M5. エアーメイル / 水越けいこ」にビックリ(*_*)
http://www7.jfn.co.jp/music/?p=3278
そこで気持ちが前向きに変わったことは、タケ的には奇跡のようなことでありました。


この事故は、前職を辞めた直接の理由ではないけれど、大きな要因であることは事実です。
たぶん、逃げるようにして辞めてたら今の生活とは全く違ったものになってたと思います。

今日は、午前のみの勤務で午後はZの洗車をまったりでき「スローライフな幸せ」を実感してますが
あの日落ちてなかったら、どんな人生になっていたろうと、そんなことを思う12月2日でした。

[6]タケゴンさんからのコメント(2015年12月03日 08時55分38秒 )
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2日の夕方、カヨちゃまとカズPがかけつけてくれました。
ちょうどカズPが休みの日で良かったけれど
道中、何回かママ携帯に「何時に着くか」の電話があり
「もうダメかもしれない」と思ってたらしい。
「車中は涙がとまらなかったんだよ」
というエピソードは昨日はじめて聞いたけれど
タケゴンは、自分が思ってた以上に危機的な状況であったようです。

夕方になると薬が効いて普通に会話できるようになってました。
「ママぁぁ、死ぬかと思っちゃった(^o^)」と冗談半分で言ったところ
くだんの若い先生がマジメな顔して
「本当に死にかけたんです。時間が無いから麻酔の注射を省略しようか迷ったです」
とおっしゃって
呼吸が細かくしかできなかった数時間まえを思い出し、そうだよなぁと凍りついたけれど
モルヒネの副作用なのか、なぜかハッピーな気分が勝ってしまい(~o~)
「あっいえ、麻酔されてあの痛さなら、麻酔して頂いてよかったッス(^o^)v」と会話。
先生も苦笑しつつ
「危機的状況は脱したけれど、何かあるといけないので奥さまはここで一泊してください」
とのことで、ナース室隣の特別病室で一夜をすごすことになりました。

ナースさんの仮眠室に窓があって、そこから病室が見えるようになってます。
夜中も電気がついたり消えたりして、ナースさんは大変な仕事だなぁ、でも、ありがたい。。
と、そんなことを思いました。
眠ったり目が覚めたりを繰り返して長い夜を過ごしました。

夜中にふと、ママを見るとシクシクと泣いたりしています。
「ビルマの竪琴」や「手紙」を観ても泣かなかった女が泣いている。
心配かけて申し訳ない・・・・そう思ったら
タケゴンも目頭が熱くなってしまったことも良くおぼえています。

ごめんね。

[7]タケゴンさんからのコメント(2015年12月03日 09時18分48秒 )
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「おれの事故はあんたのとこの新聞記事になったざんす。そんなことより、もっと重要な事件・事故があるだろうに」

と、友だちの友だちは皆友だちだぁ的、5月恒例飲み会にて、新聞記者をやっている人にグチったところ

「タケゴンがケガして大変な思いをしてるのに、なんで会社が行政処分されなきゃならんの?」
と、苦笑いされながら聞かれました。

「会社は企業として安全管理、安全教育をしなきゃならんのに、それを怠った。」
というようなことを答えたけれど
自分のせいで「指名停止」になったというのはホントに切なかった。

通常の調査業務では、現場の方々に
「ここはこうやって、あーやって、安全第一に考えて作業してねん」
と、常々私自身が言っていたのに、です。ああ情けない。

仕事中の事故ということで「労災」になりました。
ということになると、発注者だけでなく、労働基準監督署にも事故原因やどのように対応したか、今後の防止策などを書類として出さなければいけなかったようです。
会社で初めての「労災」なわけで、事後対応も大変なようでありました<(_ _)>

そんな事後処理のため4年前の今日、12月3日は本社から上司が来てくれました。
「バカヤロ」と言ってくれた方が気が楽になったかもだけれど
優しいひとばかりでして「仕事のことは心配しないで、とにかく体を治せ」でした。

後輩がみんなのお見舞いをまとめて持ってきてくれたとき
かわいい系ナースさんと会話中でした(*^_^*)
「けっこう楽しそうですね 心配して損した」
と言われたのが唯一の苦言だったかな(-_-)

小さな会社だけれど、シンガポールへのおっかけも応援してくれたし
いい人ばかりの会社だったから、22年も勤まったのかもしれません。

一部の人たちは、今もカズPに年賀状の注文してくれるし、ありがたいなぁと思ってます。

[8]タケゴンさんからのコメント(2015年12月04日 06時12分51秒 )
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12月4日(日)はまだナース室となりの特別病室にいましたが、朝の10時ころ、、携帯がなりました。

「今年もやるよ。来るろ?(ろ(新潟弁) 標準語では「るでしょ?」のこと)」

毎年恒例、年末同級会兼忘年会の案内でした。そもそもはタケゴンが前々職時代、仕事関連で同級生と会うことが多くて始めました。
15年ほどまえから幹事は持ち回りでやるようになっていて、唯一の皆勤賞だったんだけど。。。

えーと、おとといガケから落ちて、てーへんなんさ。今、特別室に入ってる。クチは動くけど、そのほかは動かねんさね。動かそとすっと、超イタイんさ。そのうち治るらしいけど、年末までに治らんと思うからパスらね。みんなにヨロシクゆーて。それと、ボクたちは もうトシなんだから無理は禁物っていっておいてね(^o^)v

「え゛っ、大丈夫なんか?、、んじゃ、労災かぁぁ てぇへんだなぁ、わかった。お大事に(^_^;)」

一般の個室には12月5日(月曜日)に移動しました。

ヒゲもじゃのリハビリ先生も、その頃登場したと思います。
「整形の先生からはドンドンやってと言われてるから、いきますよぉ(^^)」
と、不敵な笑顔でおっしゃったのだけれど、このときは触られただけでも激痛で
「まだ無理。ぜったい無理。かんべんしてください(>_<)」
と懇願したけど聞き入られず、雑談をまじえながら少しずつやってました。

毎日快便のタケゴンでしたが、人生初の便秘にもなりました。
モルヒネの副作用もあるらしいですが、あまり食べられないこともあってフン詰まりになったです。
でも こきたい ので、寝たままフンばってみるものの、重力の法則に適ってないこともあって、フンばりきれません。
そんな事が何日か続き、やっと、コロコロしたものが出たときは嬉しかったなぁ、、。
シモ関係はカヨちゃまに始末してもらったけれど、情けなかったっす。
「出たよ 良かったねぇ\(^o^)/」
と一緒に喜んでくれたときは夫婦で良かったと思ったりもしました。

[9]タケゴンさんからのコメント(2015年12月12日 05時44分09秒 )
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大変だったことは、まだまだ あります。

ナース仮眠室となりの特別病室から普通の個室へ移った頃、恥骨が折れてる股間がどのようになっているか確認したくなりました。
激痛に耐えつつもやっと動く左手をそっと動かしてズボンをめくると、、、

うがっ(*_*)

なんと、金○が、右のタマタマがソフトボールより少し大きいくらいに膨らんでおりました。
もしかして、衝撃で潰れてしまい玉袋内に大量の血液が溜まってるんではないか。むりやり立ち上がったとき、股間が熱く感じたのは潰れてしまったことによるのかとビックリしてしまいました。それに、カラダの右側が全体に膨張していることにも驚いて、ナースコールしてみました。
「どうしました?」とあらわれたのは、かわいいけれど、ちょっとこわい系の看護師さん・・・
「あのぅぅ、右のタマタマがでっかくなってるし、右半身も全体に膨らんでるみたいだけど」
「どれどれ、、あ、恥ずかしがらなくても いいわよ(^_^)」
と、ズボンをめくって診てくれました。
「これは右肺からもれた空気が体内にたまっているだけで、そのうち抜けますよ」
とのことで、一安心。
そうなると、見事なまでに拡大した袋の様子は写真に撮っておきたいとカヨちゃまに「撮って」といったけれど「何バカなこといってんだ」と却下されてしまいました。

タマタマや右半身に膨張は痛み止めの点滴がとれる頃には治ったけれど、人間のカラダの治癒力に感心したものです。

[10]チチ@滋賀さんからのコメント(2015年12月12日 07時31分41秒 )
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今年は、ケアマネージャー試験にチャレンジ!!
半年間必死で勉強しましたが、見事に 落っこちました。
来年、再来年と、あと2回チャレンジして、駄目なら諦めます。

しかしまあ、人手不足も極限で、体を壊して脱落していく仲間を
救えない、仕事の穴埋めに励む毎日。

明日は、どうなる事やら・・・。タケさん頑張って!!

[11]タケゴンさんからのコメント(2015年12月14日 06時13分47秒 )
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>来年、再来年と、あと2回チャレンジ
がんばれー 
この業界のヒエラルキー最上位はケアマネではないでしょうか。
タケゴンは、あと1年で介護福祉士の受験資格に到達しますが
それまで無事に勤めてられたら、チャレンジするざんす。


さて、たいへんだったおもひで・・・
ちょっと書いたけれど、便秘も辛かった。
(シモのハナシばかりですみません)

今、送迎業務についてますが、行ってご家族に確認する事項として
「おかわりありませんか? 最終排便は?」
このふたつは確実に聞いてくるよういわれてまして
「排便」は健康状態の把握にかかせません。

トイレ付きの個室に移ったものの、立つことさえ困難でしたが
どうしてもちゃんとした便器に座ってみたくなり
夜中、決死の覚悟でトイレまで行ってみました。

麻酔が効いていて、多少の痛みは我慢できたし
麻酔は劇薬なので、アタマの回路がぶっとんでたのかもしれません(^^;)
かろうじて折れてない左半身と点滴のスタンドを支えにして行ったわけですが
ウンのハナシだけにウンわるく、座ってホッとしたときに
ちょうど看護さんが回診に来て・・・・・

「ぎゃっ 何でこんなところにいるの? 何かあったら私たちが叱られるのっ(*_*)」

と、やはり、こわいけれどかわいい系ナースに怒られてしまいました。
(今の勤務先では説明してもわかってくれない人は、センサーを敷いてます)
出るときはナースコールを押すことを念をおされ、
トイレからベッドまでは手伝ってもらいましたが、
こんな状態なのに、よく一人で歩きましたねと感心されてしまったです。
結局は、そのときは出ずに下剤をもらって、
1〜2日後、やっとベッドで排便したけれど、人生初便秘でありました(*^_^*)

[12]富山のつーちゃんさんからのコメント(2015年12月22日 00時30分29秒 )
URL=http://www.gem.hi-ho.ne.jp/tsubai/
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いやあ、久々に見たら大変だったんですね。
私は富山から大阪に戻って1年目に胃癌になりまして手術。無事生還しました。
いつ何が起きるかは判りませんが、今を大切にしています。でも、やはり再発(もう新規と言うべきでしょうが)がいつも気になり、あと何年生きられるのかと思うときが。いずれにせよ当に人生の折り返しは住んでいますので、いまを楽しもうと思いますね。

[13]タケゴンさんからのコメント(2015年12月22日 05時59分21秒 )
URL=http://8807.teacup.com/tkg/bbs
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つーちゃんも大病してたなんて知りませんでした。
ホームページをクリックしたら、いろんな所に行かれてるようですね。
有言実行(^o^)人生を楽しんでおられるようで素晴らしいです。

アッというまに12月も下旬に突入しました。

4年前の12月19日に退院したので、ちょうど今頃は自宅療養してました。
療養といっても、リハビリの先生からは「歩いてください」といわれてたので
午前と午後、杖をついて自宅前の川端道路を周回してました。
近所の人から「どうしたの? がんばってね」とハゲましの言葉をもらって
最初はテレくさかったけれど
ガンバレという言葉には言霊が宿るものだと感じました。

この当時はまだ、右足がとても重く、痛みも残ってたので
ホントに杖なしで歩行可能になるのか?
と、自分自身では半信半疑なところもあったりしました。

[14]タケゴンさんからのコメント(2016年06月30日 21時36分36秒 )
URL=http://8807.teacup.com/tkg/bbs
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> この事故は、前職を辞めた直接の理由ではないけれど、大きな要因であることは事実です。

3年前の今日(2013年6月30日)退職しました。もう3年。。。。はやいです。

仕事に復帰して1ヶ月ほどは、自宅から通える事務所にて簡単な写真整理や図面修正などのお手伝いをしてましたが、3月上旬には上越へ単身赴任して残っていた自分の仕事を再開。4月からは新規の仕事もまかされて完全復帰に至りました。

それからは当然のように仕事量も増え、再び早出・残業、休日出勤はあたりまえの日常に戻りました。でも、「働ける喜び」を感じられたことや「迷惑をかけた分、頑張らねば」というような思いもあって、けっこうマジメに努めました。

そんな頃、今までやった事の無い難しい業務の担当になってしまいました(-_-;)
事故前のタケゴンならば「こんな難しいのはできません(>_<)」と駄々をこねてたと思うけれど、会社に「借り」があるため、とてもそれは言えません。
このため「必死」といっても過言ではないくらい真剣に取り組み、お盆返上でスタートダッシュに成功し、とっても細かい発注者との絡みはずいぶん神経をすり減らしたものの、スパッと軌道に乗せることができたのは、我ながら快挙だったと思います(自画自賛)。

ただ、この仕事を、、
たとえば「ハヤブサがイトカワに行って帰ってくるまでの仕事」にたとえれば(全然違うけれど)、無事にロケットがうち上がり、ブースターが切り離されたところにすぎなく、タケゴンはロケットをイトカワに到達させるまでの責任がありました(イトカワからの帰還は次年度以降の業務になる←全然違うけれど)。ので、いろんな困難を克服しなきゃなりませんでした(詳細は守秘義務があって書けましぇ〜ん)。

その仕事は常に脳内思考の1/3を占めていたものの、なんとかなりそうだ。
と思いはじめたのは雪が舞う頃だったでしょうか。今度は別の新規物件の担当をまかせられました。これも今までやったことのない物件なのでかなり困ったけれど「やれません」とは言えません。
で、これも「必死」の思いで対応していったら、色々な運の良さもあって、今思えば素晴らしいスタートダッシュを決めて(^o^)←自画自賛。積もってしまったらアウトだっけれど、降雪ギリギリで初期作業が間に合ってホッとしたのは、2013年の1月ころでした。
これも「ハヤブサ」にたとえれば、無事ロケットは打ち上げたゾ・・・といったところか。

この二つの業務物件は難易度も金額的にもけっこう大きくて、これだけでも大変だったけれど、その他にも通常物件は3〜5つくらい常に並行して消化していて、精神的にも体力的にもけっこうヘトヘトになってました。

1月に入り、、1年前のことを思い出し、かなり無理な生活を続けていることに、ふと気がつきました。こんな生活続けていると、また事故を起こすかとんでもないミスをやりかねない。と、タケゴンのゴーストがささやくわけです。

「オレ、もう限界なので春からはパートのおばちゃんたちのグループに入れて欲しい(写真整理や図面書き)。もちろん、給料もパート並みでOK。けっこう良い仕事やりますぜ」
と、直属の上司に言いましたが、そんなハナシが通るハズもなく却下されてしまいました。

それから数週間は誰にも相談できずに自分の中で悩んだでしょうか・・・前述の二つのビッグプロジェクトの工期は3月末。これを完璧に終了させねばならないし、3月になると別の新規物件も舞い込んできそうだし、どうするべえか。
そんなことを考えると眠れなくなったり、夜中に目が覚めて、カガミを見るととても老けた自分が見えて、ああ、、やっぱり、こんな生活は続けられない。

このさい、ママに聞いてみよう。。。

ということで「会社を辞めたい」をうち明けたのが2月に入ってから。紆余曲折があったけれど「免許を取ればタクシーの運転手になれるかもしれない」と決意して正式に退職表明をしたのでありました。

前述のビッグプロジェクトの1つが役所の都合で3月末日から5月中旬に工期延長になったので、5月末日で退職願いを提出しました。
しかし、どういうわけか、6月中旬に再度工期が延びたので(ずいぶん助かったけれど)「すんません、6月末日の退職で頼みます」と申し出て、キッチリと仕事は完了させました。
成果品の検査が無事終わったとき「ああ、これで思い残すことなく自由になれる。仕事のストレスから解放される」そう思った爽快感は今も忘れられません。

しかし
「自由な日々の辛さ」がすぐに訪れることに、そのときは気がつきませんでした(>_<)

[15]タケゴンさんからのコメント(2016年07月02日 07時06分17秒 )
URL=http://8807.teacup.com/tkg/bbs
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>しかし「自由な日々の辛さ」がすぐに訪れることに、そのときは気がつきませんでした(>_<)

6月中旬に、タケゴンにとっては最大級のビッグプロジェクトの検査が終わりました。
契約金額は、前職時代を通して3番目くらいの大きさだったけれど、難易度は最高に高かったです。とにかく終わってホッとして、残務整理に一週間くらいかかって身の回りを整理。
6月の最終週の初めにはやることが無くなったので、一週間ほどは「有給休暇」をとって休みました。有給休暇は「もこさまと行く、シンガポールへの旅」以来、まとめて取ったことは無かったので、一ヶ月以上余ってて、もったいなかったかもしれませんが、今までお世話になった恩を思えばどうって事はありません。

で、まだ退職前の人がハローワークに行っていいものか?
と少し考えたりしたけれど、この先どう進むべきか?は考えねばならないし、すぐに働きたいとも思っていたので行ってみました。

当時56才。想定していましたが「この先どう進むべきか?」の行く道は極めて限定的です。正社員、またはある程度の給料が必要なことを条件にして検索すると、同じ会社(タケゴンが辞めるので求人出してた)または同業他社しかありません。
同じ会社に「新人」として入って楽な仕事をさせてもらえないものか・・と、一瞬思いましたが、それはマンガの世界になってしまいます。また、同業他社で雇ってもらえるほどの実力が無いことも承知しているし、同じ仕事に就くのなら辞める必要がないわけなので、今までに準じた待遇での再就職は早々に断念しました。

もちろん、このあたりは想定済みなのですが、自分の方向性をある程度決める手順として心の整理もありました。では、全く別な職業に就くとしたらオレは何をやりたいのか?できるのか??
「タクシー運転手」を検索しましたが勤務形態が特殊です。
夜、早々に眠くなるのに体力的には無理じゃろう。日勤専門での求人もあったりしたけれど、パートで時給は800円ほどなので、とりあえずは却下。
「時給800円程度」で門前払いされない職種に絞っていくと、清掃・介護・警備員くらいに絞られます。
交通整理の警備員は、今までの仕事で経験はあるので有力候補に浮上しましたが「真夏の熱さ、冬期間の寒さ、雨風の厳しさ」を想定すると二の足を踏んでしまいます。
介護は腰に不安があるし、じゃ、清掃かと詳しく見ると朝晩だけの勤務だけだったりするので、これじゃダメじゃんか・・・。
そんなわけで「楽に働ける仕事は無い」ということに、すぐに気がつきました。

もちろん、そんなことも想定済みでしたが、実際に検索画面で絞っていくと「仕事が無い」現実に直面してカラダ中の血がひいていく気分に襲われました。

絶望しかけたとき、近所の特養で「送迎運転手」という求人があって、こんな仕事もあることを知りました。
「午前2時間、夕方2時間 の計4時間」ってのがあって、近所なので良いかも。絶対いい。絶望した気分からみれば「これしかない!」と思ったのは早計ですが、まだ正式な退職日前なのに無職になることの恐怖が心の底では発生していることをあらためて思い知りました。

「ここに照会状書いてほしいんですけど」
と相談窓口に行きましたのです。すると・・・

はい。もちろん、書きます。ただ、少しお話させていただきますと、もったいないです。この職場ですと失業給付金が出ません。まだ退職まえですし、奥さまと良く相談された方が・・・。それと、タケゴンさんの経歴と資格ならば、こんなところやあんなところが。、、はい。そうですか、それはダメなのですね。では、こんな研修も無料で受けられますが・・
と、清掃・介護・警備員・送迎運転手・フォークリフト・庭師などのパンフレットを渡され、送迎運転手研修の申込期限が近いことも告げられました。

じゃあ、とりあえず頼んでみようとシルバー人材センター(ここで研修やってます)申し込みに行きましたが、すでに定員に達してるので難しいかも。と言われてしまいました。なるほど、人気の商売なのかも・・と思いつつ・・・

7月初旬からの研修なので、参加が認められれば6月中には案内が来るだろうと思ってましたが、正式に無職になった7月1日になっても来ませんでした(^_^;)
今まで、日々忙しいことがあたりまえで「スケジュールが空白」なんてことは有り得なかったのに、当然といえば当然だけれど、やることが無いことが続きそうな現実に直面しました。

ガーーン、えーー、、うそー。。。どうしよう。毎日が日曜日なんて耐えられません。

じゃ、やっぱり2種免許とりに行こうかと、「たのもーー」と自動車学校の門を叩き、パンフレットをもらい、翌日には入校申し込みしました。
普通免許では眼鏡条件はかろうじてついて無いのだけれど、2種免許には「深視力」のテストもあって眼鏡をかけて挑みましたのです。
これが、さっぱり難しく(*_*) 試験が始まってることさえもわからないくらいダメでした。
たぶん、白内障の手術をしたばかりの影響もあったかもしれません。何度も再検査をして「入校許可」をもらって一旦家に帰ったものの、、卒業検定や免許センターでの本試験にも「深視力」がかかわって来ることを想定すると、このために20万以上支払うのは無謀すぎるかと反省しました。
あのぅぅ、今日、入校申し込んだタケゴンですが、申しわけありませんが辞めます<(_ _)>

そんな電話をして、明日からどうしようか・・・と思い悩みはじめたときに郵便受けに音がして「送迎運転手研修」の案内が届きました。スケジュールに「研修」と書き込んだときは、マジ嬉しかったです。

で、送迎の研修に行ったのが縁で「介護職員初任者研修」を受けることにして「腰」の心配はあるものの、やっぱ次は「介護」かと方針が定まって行ったのでありました。
予定が何もない、自由な日々の辛さを味わったのは、ほんの一週間くらだったけれど、それも「大変だったおもひで」でありました。

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