昨日、一昨日と電車で移動が多く、久々に読書をしました。 小説は一気に読み上げないと嫌いな性質なので、移動とかの暇つぶしは 主に雑学系の本を読みます。 結構戦国時代ってのが好きなので、今回はそんな戦国時代の武将の裏話みたいな本を読んでました。 名前の知れている武将などでも、結構若くして亡くなった方が多いのね。 今自分の年と照らし合わせたときに、彼らは短いがなんと濃い生を生き抜いたのだろうと感心します。 「腹を切れ!」 ・・・・おいらには無理っす。見苦しく逃げます。 辞世の句を読み、粛々と毅然と死を迎えるなど無理。 でも、まあ今日これから仕事に出かける途中に事故に遭ってって可能性も有るのですよね。 今突然自分の生が終わったとして「わが人生に一片の悔い無し!」とは言えない。 逆にこんなおいらが、惰性でも生きていける「平和」に今夜ビール片手に乾杯するかな。
某ベストセラーの影響を受けちゃったのか 最近「武士道」をわかりやすく解説してある本を読みました。 元々は、英文で書かれているものだったんですね。 一説には、日本人といえば「腹切り」とイメージする諸外国の人が多いのは この武士道を誤解しているからだという話しもあるようで。 勿論、映画の象徴的なシーンを観てしまって、 日本中が未だにざくざく切っていると思ってるとか。 改めて「武士道」を読んでいると、諸外国の人・・・という前に 自分自身が誤解していたと言うことに気が付かされました。 「死をおそれないで、いけいけどんどんが武士の格好良さだ」と どこかで思っていた節がある・・・というところ。 「勇気とは正義を行うこと」と言えるだろう。 あらゆる危険を冒し、自らを危機に陥れ、死地に追い込む行為が しばしば勇気だと思われ、シェークスピアが「卑しむべき勇気」と 呼んだこのような無謀な行動は、武人の間では間違った賞賛を浴び ている。しかし、武士道にはこうした教えはなく、死に値しない 理由で死ぬことは「犬死に」といって蔑まれてきた。 生きるべき時に生き、死ぬべき時に死ぬことこそが真の勇気だと。 最近のニュースを見ていると、よくわかんないタイミングで 命を賭けている人が多いので、困ったことだと思ってしまいます。 もっとも、すも氏が書いているのは たった今のなんともいえない・・・やりきれなさというか なんというか、、、、そういうののことなんでしょうが。。。
おいらもある人から「武士道」の解釈を聞いて、目からうろこだったのね。 「武士道とは死ぬことと見つけたり」 この有名な1文を、死の美化や、死を恐れぬ勇気では無く 「この後何時でも悔いなく死ねるよう、今を充分に生きよ」 そういう意味であると・・・・。 つまり「今生きていることを大事に思い、ベストを尽くせ!」だと。 自分の事を謙虚に「馬齢を重ねてしまいました。」という人が居る。 でも自分自身で本当にそう思うなら、たった今からそんな生き方を辞めたいと。 後悔と反省は違う。 反省無きものにより良い明日は来ない。 後悔ばかりのものに明るい明日は無い。 恥って何だろう。 切腹ってのは、往々にして「恥をそそぐ」行為で有ったような記録が多い。 で、今自分達にとって恥って何だろう。 命を犠牲に守る「名誉」って何だろう。 まあ、こんな事つらつら考えたのは、自分の事を棚に上げて話すと 「こいつ俺より年食ってて、よくまあこの程度で・・・・」とか 「俺がこいつの年には、もっとましだったよなあ・・・」 と感じざるを得ない事が、最近身の回りで多すぎたからです。 恥を知れ! 自戒をこめつつ・・・・