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投稿番号:101815  投稿日:2005年09月10日 22時10分00秒 パスワード
お名前:小川もこ
URL=http://djmoko.com/
9/15「祖父母の肖像」

キーワード:私の名前をつけてくれたのも おじいちゃんだった
地域 :関東

 いよいよ決戦は日曜日。明日ですねぇ。。。
皆が どんなジャッジを下すのか  各チャンネルザッピングしながらTVから目が離せない一夜になることでしょう。
明日の夜は 眠れ〜ない 眠りたくない〜♪

 今日は1ヶ月ぶりに 先生してきました。
長い夏休みのあと 久々に会った生徒達は それぞれに充実の日々を送っていたようで。
私の出した課題に対して 想定範囲内の答えがある とします。
彼ら 彼女らの それは あきらかに想像を超えて いいんだよな。
先生って ほんと 先に生まれているだけで 負うた子に教えられ です。
だーれが生徒か先生かぁ。。。でありまする。

そんなこんなの9月。早くも半分過ぎた日が 次のフォーミラ放送日。
奇しくも 元・敬老の日ですね。

今やハッピーマンデーで 今年は9月19日となってますが、本来は「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」祝日として 制定された日。これは、723年の9月15日が 聖徳太子が四天王寺に、貧しい人や病人、孤児などを救済する悲田院(ひでんいん)を設立したので、それにちなんでこの日に決まったのだそうな。
こーゆー記念日って 本来は 移ろっちゃいけないもんだと思うんだけどな。

そこでフォーミラ的には 本来の15日に おじいちゃん おばあちゃんに感謝の気持ちを込めて 以下のテーマでまいりましょう。

「祖父母の肖像〜 うちのおじいちゃん うちのおばあちゃん」
あなたの おじいちゃん、おばあちゃんの話 聴かせてください。
おじいちゃんに教えられた 叱られた 褒められた 怒られた 笑った 泣いた 大好きだった ちょっとねこれは直して欲しかった。。。
そんな思い出、エピソード 是非是非 教えてね。

今も元気なおじいちゃん おばあちゃんに 面と向かっては言えない 感謝の言葉や 苦言・提言ふくめたお願いことなども。
今はもういない おじいちゃん おばあちゃんに これしてあげたかった これ伝えたい といった あれやこれや。

あぁ 私は まごうことなく あなたの孫なのねぇ、、、と感じる 隔世遺伝な あんなとこ こんなとこ話も。
どんなお話でもけっこうです。お待ちしています♪

我が家は みんな大きな長身家族なのですが、明治生まれのおじいちゃんからして 180cmありました。当時の人としては でっかいですよね。
でも、記憶の中のおじいちゃんは すでに腰が曲がっていて痩せていたので そんな威圧感はなかったな。県を代表する教育者で とても恐い存在だったけど 晩年 緑内障を患ってから 送ってくれた手紙の字は とても大きく 歪で震えていてね。
「こんな字ですまない。これがせいいっぱいなのだから」とかろうじて判別出来た その言葉が 本当にせつなかった。
もっと もっと いろいろなこと 教えてもらいたかったな。
もっと もっと いろんな話がしたかったな。

おじいちゃん。  また 会いたいなぁ。。。

[1]みーつけたっ!さんからのコメント(2005年09月11日 00時10分51秒 )
URL=http://pksp.jp/ochan-0129/
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もこさん、ゆっきーさん、やぁ、がんどぶり!
早速今週のテーマです。

>明治生まれのおじいちゃんからして 180cmありました。当時の人としては でっかいですよね。

僕の父方の祖父も長身だったそうです、でもやはり腰が曲がったイメージでしかないので父から聞いた話であります。祖父もやはり出兵してました、中国東北部(旧満州)や山東省で戦って終戦時は国内にいたそうです。
その祖父、伯父(父の兄なのでこの字です)と共に今は富山の地に骨を埋めてます。青森県から3人して縁あって来たわけですが改めて考えたら、祖父も父もいなければ今の僕はいないわけで。伯父さんはよく食事に連れて行ってもらったことがありますが。

じいちゃん、お父さん、改めてありがとう。

[2]すもっぷ!!さんからのコメント(2005年09月11日 18時16分30秒 )
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祖父母の肖像....ちなみに父方の祖父の名前は金蔵です。(笑)

では本題。
私が生まれた頃、祖父(金蔵)はこの世にいなくて、ばあちゃんの方がいました。幼少の頃、昔のいろんな歌を歌ってくれましたが、今も少し覚えています。

ばいちゃんが言った言葉も色々ありましたが、その中でも「負けるは勝ち」という言葉は今の私の座右の銘の一つです。

ばあちゃんがこの世からいなくなった日はくしくも私の誕生日の月日と同じでした。

[3]はのすけさんからのコメント(2005年09月11日 22時47分07秒 )
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恥ずかしいことに、というか自慢すべきことなのかもしれませんが、
(コホンッ)
わたくしの父方の祖父は、、実は江戸時代生まれであります!
(まぁ後3年で明治時代になろうという慶応3年(1865年)生まれではありますが・・・)
うちの父親なんざ7人兄弟の末っ子で しかも祖父の50過ぎの子でして、しかも来年90歳になろうという大正5年生まれだとすると、、そういう計算になるから不思議だ。

父方の祖父は長寿で、96歳の時(わたしが5歳頃)に亡くなりましたが、今でもお葬式の様子を覚えています。
昔は土葬で、棺桶も丸い座棺でして、祖父は白い着物を着せられ、伯父とかが「こりゃ固いのぉ〜」などと言いながら、一所懸命苦労して(しかも雑に)棺桶に入れていたのを思い出します。

わたしも隔世遺伝で骨格は祖父にそっくりだと親戚連中からは言われております。長〜い長〜い隔世遺伝です。
うちの息子もわたしが40過ぎてできた子でして、わたしに似ている。こうなると何が何だか分からなくなってきます。

平成生まれの息子の祖父が大正生まれ、曽祖父が慶応生まれ。
その息子に子供が出来れば、平成の次の時代の可能性もあるわけでして、、

我が血統は壮大な歴史の大スペクタルそのものであります。
(ギネスもんかもね)

[4]がびさんからのコメント(2005年09月12日 12時37分40秒 )
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おじいちゃんの名前は「ミツヨシ」っていいます。私の名前は一文字とって「ミツヨ」。神社でつけてもらったのが偶然一文字違いだったのですが、二人ともとても気に入っています。おじいちゃんは戦時中のことは滅多に話さないのですが、ある日ぽつんと言ったことがあります。「戦争は悪いことやけどな…。軍隊はそりゃあきびしかった。どうして厳しかったのかと言うと、一人のミスが軍隊の、ひいては日本の敗北をまねくからだった。軍隊には一人の役割の大切さを教えてもらった。それは生きていくのにとても役にたったぞ。」これが一番大好きなおじいちゃんの言葉です。 今はちょっとボケちゃって「おじちゃん」になっちゃって、それは多分まだ私が生まれていない頃のおじいちゃんのようで、「ミツヨか?ちょっと待ってね。おじちゃん一生懸命思い出すからね。」って下向いて努力してくれます。ふと顔を上げた瞬間に従兄弟が前に立っていたりすると、「う〜ん。困った。ミツヨは男やったか。もうちょっと考えてみるね。」って大変なことになります。でも、元気です。おじいちゃんのことが私は大好きです。

[5]TAKEGONさんからのコメント(2005年09月12日 17時50分56秒 )
URL=http://tkg-hus.hp.infoseek.co.jp/
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父の両親は私が生まれたときはすでに天国に行ってたので写真でしか知りません。
写真のジ様はツルピカハゲ丸くんで、私の頭髪が日々危うくなってるのは、
きっと隔世遺伝っつーもんだと思う。

母は私生児で生まれたので、母の母しか知りません。
若い頃のバ様の写真を見ると、現代でも通用するような美人でありまして
私がこんなにいい男なのは(・・・・・<(_ _)>言い過ぎました 許してちょんまげ)
これもきっと、隔世遺伝っつーもんだと思ってます。

[6]ぺーさんからのコメント(2005年09月12日 18時15分36秒 )
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私の祖母は84歳の現役ドライバー♪
「コレが最後だろうねぇ〜」と、寂しげに言いながら3年前に新車を購入(笑)
(けれどイマイチ気に入らないらしく、どうやら近々買い替えになりそうな気配)

高齢者講習を受けて、もみじマークを付け、自宅から15〜20キロの生活圏内を走り回っております。
ただ白内障の手術もやったし、乱視など目に少々の不安を持っている祖母は、昼間明るい時間帯しか運転しないように心掛けているようです。

祖母自身の実家に行く時も、昼間の内に行って帰って来くるように決めて運転しています。

曾孫が9人居る、ほんとーーーーに元気な祖母でして。。。。
子も孫も、誰1人も敵いませんって。。。。(苦笑)

[7]飲んべのニャンタロウさんからのコメント(2005年09月12日 21時43分26秒 )
URL=http://myroom.isao.net/room998/0000005000085998/
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祖父の名は孝吉。
高校3年の時に無くなったので 3年が経ちます(大嘘)
祖父がどんな人だったかの詳細は
もこさんの『ハートに "じゅっ"』を買って読んでいただくとして(笑)

で、両親も祖父祖母になり
甥っ子に「おっきとぉさん」「おっきかぁさん」と呼ばせております
ちなみにあたしは「おっきねぇさん」
伯母さんと呼んだら小遣い上げませんから♪

あたしは 祖父祖母に遊んでもらった記憶がないのですが
最近のジジババは元気なもんです
特にじぃさまとなった父は 孫に手を出す口を出す
うるさいのなんのって

母は言います・・・・・
お前の時にもこの位やってくれたら楽だったのに(ため息)

敬老の日に合わせ 保育園でなにか企画がされてるらしく
それを見た我が家のジジババは
垂れてきた目をさらに垂らした笑顔になるんだろうなと予想できます(笑)

[8]いわきのさかなさんからのコメント(2005年09月14日 21時35分04秒 )
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私の両親は、二人とも早くに親を亡くしているので、
私には、「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼べる存在がいませんでした。。

母は働いていたので、家に帰っても誰もいなくて寂しかったけど
昔は「隣近所のおばちゃん」という存在がいて、何かと声をかけてくれてありがたかったなぁ。
今にして思えば、私にとっての「おばあちゃん」みたいな感じだったのかもしれませんね。

「お茶飲みに来たらいがっぺ」
「おごご(漬物)しかねえげどなぁ」
と、よく声をかけてくれた隣のおばちゃんは、いま90歳近いのかなぁ
実際、ケーキとかお菓子などは用意されてなくて、白菜の漬物がお茶菓子代わりでしたけど
何か落ち着いて、くつろげる雰囲気でした、
そうそう、捨て猫を拾ってきては育てていたので、猫と遊ぶのも楽しみだったっけ。
私の猫好きは、この隣のおばちゃんの影響ですね。

「○○ちゃんは、お利口さんだよなぃ」と言われるのが嬉しくて
掃除やお使いをよくしたもんでした。

それに比べて、うちの子供たちは、祖父母に可愛がられて育ったので
幸せな子供時代だったと思いますね。
特に今は亡き「じいちゃん」が定年になってからの孫でしたので
暇に任せて、よく自転車に乗せて遊びに連れて行ってくれましたねぇ
近所でも有名でございました。
長男→次男→長女と小学校に入学するまで、お世話になりましたが
長女のランドセル姿を見ないまま、肺がんであっという間に亡くなってしまった義父・・・
本当に優しくて、働き者で、尊敬する人でした。
「じいちゃん」と呼んだ事がない私が、初めて「じいちゃん、ご飯だよ〜」とか
子供と一緒になって言ってたような記憶があります。
きっとそう呼ぶのが嬉しかったんだと思いますね。

[9]さらさんからのコメント(2005年09月15日 00時47分17秒 )
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母方のおじいちゃんは、戦争で亡くなりました。
母親がおばあちゃんのお腹にいることも知らないまま。
もう少し早く戦死していたら、私は生まれていないの・・・と
いつだったか、母親がぽつりと言いました。
出征した夫の留守を守るべく、息子(母のお兄さん)との生活で精一杯だったようですから
女手一つが確定した上に、さらに赤ん坊が生まれるというのは、
やはり、現実的に厳しいですよね。
おばあちゃんの中に、二つの選択肢があったようです。。。
知らせが早く届いていれば、本当に母親は生まれていなかったでしょうし、
私もこうして書いていなかった。

おじいちゃんは絵心があったらしく、京都で染め物を学んだ人でした。
どんな人だったのか、写真も無くて。
大きかったのか小さかったのかもわかんない。
会いたかったですねぇ、、、おじいちゃんに。どんな人だったんだろう。

家の一階には土間に入ると、一段高くなった畳の間の最前に
ガラスのケース。
所謂昔の反物屋さんみたいな風情の家でした。
おばあちゃんはおじいちゃんのような高度な染め物は出来なかったので
簡単な小紋くらいしかしていなかったんじゃないかな。
お客さんからオーダーを受けては、せっせと小紋を染めていたそうな。
昔のことですから、洗い張りの仕事もたくさんあって、忙しく働いていたそうです。

私の記憶の中の裏庭は畑ですが、当時はあそこで反物を乾かしていたんでしょうねぇ。

おばあちゃんは晩年、長男の居る大阪で過ごしましたが、
団地の老人を熊本弁で仕切っていた節有り。
おばあちゃんが逝ってしまったあとは、みんなのたまり場だった木陰に
誰も来なくなったそうな。

最後まで故郷の訛りのままだったですねぇ。
おばあちゃん、大好きでありました。

[10]もびすけさんからのコメント(2005年09月15日 02時57分50秒 )
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こんにちは!ばあちゃんを思い出して・・

ばあちゃんの好きだった歌・・二葉百合子「岸壁の母」、ぴんから兄弟「女のみち」
              殿様キングス「女の操」、など

ばあちゃんの好きだった番組・・のど自慢、 細腕繁盛記、 おもろい夫婦、など。

一番、好きだったのが「泣くがのが」と呼んでいた、桂こきんじと清水由貴子が司会してた、身内や知人に何十年ぶりに会うとかいう番組。なんだっけかな〜

いつも、「ばあちゃん、泣くがのが はいったよ〜」というと、「おーい」と返事してひょこひょこ歩いてきて、テレビの横にぴったりついて画面を覗きこみ、出演者の話をうなづきながら聴き、最後は一緒に涙する。そして、その後「あんたら、幸せやと思わんにゃ」と締めていました。この、テレビの横にぴったりついて画面をのぞきこむ姿こそ、ばあちゃんの肖像。

実は、ばあちゃんの目は視力がほとんどなく、不自由だったのでテレビを見るときはいつもこんな感じでした!ところで、本当はなんていう番組でしたっけ?


突然ですがリクエストいいですか? では、岸壁の母で。と言う訳にはチョット行けないので、 スタレビでもなく、富山のミュージシャンです。
「山崎雄弘-やまざきゆうこう」さんの「あかね」お願いします。21日にデビューCDが発売されます。スタレビとは別腹で応援してます!

[11]みーつけたっ!さんからのコメント(2005年09月15日 06時29分40秒 )
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>もびすけさん

『それは秘密です!!』って番組でしたよ。3世代で同じテレビの話題が出来る家族が羨ましいです。

僕からも山崎雄弘の『あかね』、リクエストします。ゆたんぽの頃から気になって何度も生で聞きましたが喋りの暖かさと歌のパワフルさにびっくりです(*^_^*)もこさんにも聞いて欲しいと思いますo(^-^)o

[12]スーパー主婦・のりこさんからのコメント(2005年09月15日 09時26分42秒 )
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ビタミン倶楽部に出没しているのりこです。
番組テーマが気になったので参加してみました。未来倶楽部のホームページの
便利な日めくりカレンダーを毎日チェックするのが日課になってまして、中でも商売の神様、松下幸之助の一日一話を欠かさず読ませていただいてます。
今日の内容がテーマにもつながると思ったので余計なお世話でコピペします。


<松下幸之助一日一話> PHP研究所編

精神的大家族

核家族の風潮というのは、いい悪いは別にして、天下の大勢です。大きな流れです。けれどもそれは形の上でそうなのであって、精神の上では核家族になってはいけないと思います。あたかも大家族のごとく、年老いた老人には、家族の人たちが絶えず心を通わせるようにしなければなりません。たとえば、三日に一ぺんは電話で声をかけてあげるとか、そういうつながりがなければいけないと思います。世の中が進歩したら、それぞれ活動する場所が増えますから、どうしても離れ離れになって、大家族という形はとれません。だから一方でそれを集約する精神的なつながりが一層必要だと思うのです


私も離れて暮らす祖父に時々連絡をしたいと思ったわけです。
世の中とても便利になっているのに連絡をしてないのは、なまくらな性格のためかな。きょうの夕方あたりに電話して声を聞いてみようと思ったわけです。
今週末は敬老の日のプレゼント選びをしてこよっと。

[13]しぇばさんからのコメント(2005年09月15日 10時10分48秒 )
URL=http://homepage3.nifty.com/SHEVA/
本人によりコメントは削除されました。 2005年09月15日 10時11分58秒

[14]しぇばさんからのコメント(2005年09月15日 10時12分40秒 )
URL=http://homepage3.nifty.com/SHEVA/
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私の父の両親は 父が子供の頃に別々に他界しました.
私が一緒に暮らしておばあちゃんと呼んでいた人は 父の養母.
私にとってのおばあちゃんは この 父の養母でした.

自分が子供を持ってはじめて 幼子を残して他界した父の実母の事を意識するようになりました.
きっと思いを残して逝ったんだろうなと.
仏間に飾ってある おばあちゃんと 実の祖母の写真を見ながら 天国で2人はどんな会話をしているんだろうと ふと考えます.

会ったことのない実の祖父母と私が いつか天国で会ったら どんな対面になるんでしょう? 
初対面なのに 懐かしいような 気恥ずかしいような 例えば ネットで出会った友人と初めてオフ会で対面する時のような うれし恥ずかしい気分なのかしらなどと思ったりしています.

[15]まささんからのコメント(2005年09月15日 11時23分41秒 )
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 こんにちは、まさです。

  今週のテーマについてですが、うちの親父の話をします。

 うちの親父がうまれたとき家族会議で「勝男」にすることで決まり

 親父の祖父が役場に届けに行きました。

  その後、親父は周りから「勝ちゃん」と呼ばれてました。

 小学校に上がる時、書類提出が必要になり戸籍を見て家族がびっくり

 「勝男だと思っていた子供が達男と登録されていました。」

 おおじじは漢字がよくわからなかったのと活舌の悪さも手伝っての事故?です。

 6年間「かっちゃん」とよばれていた子供はいきなり「たっちゃん」になりまし

 た。

  しかし、いままで「かっちゃん」と呼んでいたのに急に呼び方は変えられない

 ということで、親戚すじや友達は70歳を超えるいまでも親父を「かっちゃん」

 と呼びます。 

  エピソードとしては、おやじの兄が結婚する時、嫁にきた自分から見たらおばち

 ゃんが「達男」という弟がいることは聞いていたが「親戚が集まると「かっちゃ

 ん」と言う名が飛び交うのでもうひとり会ったことがない別の兄弟がいるのかとお

 もったと言ってました。

 おやじがおおじじのおかげで2つの名をもつ男になったというお話でした。

 ちゃん、ちゃん。 

[16]もびすけさんからのコメント(2005年09月15日 12時36分05秒 )
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>みーつけたっ!さん

ありがとうございます。そうそう、そうでした、「ひみつ、ひみつ、それはひみつです」ってエコーのかかったお姉さんの声から始まってましたよね。確か。 その後「雨止んで、人、傘を忘れる。とかく、人間はどうのこうの・・」とかなんとか言ってたような・・・違ったかな? 当時はまだ小学生くらいだったと思うので記憶が定かじゃないですが。


はぁ〜 すっきり!しました。

[17]みーつけたっ!さんからのコメント(2005年09月15日 22時14分39秒 )
URL=http://pksp.jp/ochan-0129/
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>もびすけさん

どういたしまして。m(__)m
その番組は最後の10分はまじまじと見てたような(汗)

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