京都の地盤というのは、地下数十メートルに花崗岩の岩盤があるのだが、その上というのは砂礫と呼ばれる水を通したり多く含みうる地層であるわけです。で、四方を山で囲まれ、地下水をなみなみと含んだ土地であるわけです。その水量、実に琵琶湖の数倍という話を聞いたことがあります。その辺、同業のTAKEGONさんであればもっとうまくいってもらえるかもしれない。で、いってみればビーカーを思い浮かべていただければいいのですが、そのビーカーの水の注ぎ口にあたるところがいってみれば、大山崎町。「サタディ・ウエイティング・バー"アバンティ"」でおなじみの山崎、という事になります。かの番組のCMでよく聞かれる利休の井戸というのは、山崎の他に堀川今出川の千家など京都に何箇所もあります。京都の地下水の賜物です。
ウチの両親、毎週水曜日に油絵を夫婦で習いに行ってるのですが、元々建築設計士だった父などは絵は得意で、というか、描くのが好きで、もう描きまくりという状態。この春など、銀行のロビーで個展のごとく展示させていただいたほど。で、商売で描いているわけではないので気前よく人に差し上げているのですが、そのお礼というわけで、本日、例の番組でCM打ってる「響」より高い「インペリアル」といウィスキーをいただきました。で、真昼間から家族3人で酒盛りですわ。もう、ダメ親子全開という感じ。
さすがに高いというだけで、香りは芳醇、という感じがする。例の番組できいたであろう、本当の水割りというのは常温のお酒にできればそのウィスキーの産地の水をちょっとだけたらして立ち上る香りを楽しみながら飲るものだ、などという受け売りのノーガキを両親にたれてみたりしながら、2時間で600cc、ええ、空けちゃいました。もったいない。
話の流れがどんなだったか忘れましたが、母方の爺さんの話になりました。えぇ、以前、スレッド「遺伝しちゃいました」に書き込んだ、戦地でメチル飲って逝っちゃったヘナチョコだけど僕にすれば愛すべきあの爺さんです。母が、その爺さんから婆さんに戦地から送ってきた手紙を持っている、というのです。母は父(爺さん)を幼いうちに亡くしてしまい、それがコンプレックスだったようだ。そして、その手紙の数々、今まで何やら怖くて目も通していなかったそうです。
僕は勿論、僕の父もそんな事は初耳でした。早速見せてみろ、という話になりました。アルコールの力ですな。
「軍事郵便」と刻印されていたり、中には「検閲済」とはんこも押されているものがあったりして、生々しい。どのはがきも、万年筆で、句読点や改行するスペースももったいないというがごとく細かい字がびっしりと埋まっておりました。度々「解読頼む」と書いてあるとおり、思いがあふれているようなそんな手紙の数々、当の母はもうべろんべろんでそれどころではなかったが、とにかく父と僕で交代でそれを読んでみた。母には覚えはなかったようだが、恐らく幼い母が慰問袋の中に爺さんにあてた手紙があったのだろう。婆さんにあてた中に一通だけ母の名前が宛名の欄に書かれたものもあった。母は涙を流した。
なかに「八尾の小原節につれていけなかったのが残念だが之れも決戦下止むを得まい…」という書き出しのはがきもあった。今頃の季節のものであろうか? 母によれば爺さんというのは高岡署一二を争うような秀才警察官だったそうだ。召集前には八尾あたりの駐在所に勤務していたこともあったそうな。
「検閲済」だけあって、軍事機密に関わる物はなかったけれど、家族や親類、ちり愛を思いやる言葉、少しでも自分の近況を教えたい、少しでも高岡の状況を知りたいという気持ちでいっぱいの手紙たちであった。中には婆さんとの結婚前、召集前のラブレターのようなものもあった。
母はすでに前後不覚だったが、父と僕は「これはとんでもないもんだぜ」と話し合った。爺さんが大酒呑み立った事は確かなのだろうが、しかし、これらの文面とメチルにまで手を出してしまうだらしなさとはどうしても結びつかない。これからぼちぼち、これらをきちんと解読していこうと、父と話し合いました。
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