5年余りの闘病生活を終え、先日祖父が他界しました。
80数年余り、私は祖父にとって初めての孫でした。
祖父が他界した当日、私は仕事中で、連絡を受け直ぐに本家へ戻りました。
闘病中の顔は何度も見ていましたが、さすがに冷たくなった顔を見た時には我慢出来ませんでした。
ロウソクの火と線香を途切れさせないというのは初めて知り、私は側で一晩寝ずに一緒に居ました。
火を途切れさせないよう兄弟親戚と思い出を語り合ってたら、身内が何気なく祖父が使っていた
書庫の引き出しを明けたのです。常識で考えたら身内でも勝手に引き出し開けないのに。。。
そしたら、幼稚園児の頃大阪に住んでた私が、祖父母へ宛てた手紙が出てきたのです。
元気な頃はそんなこと一言も言ってなかったのに。。。
封書表の宛先住所は私の母が手伝ってくれた文字でした。宛名及び裏面の差出人名は私の筆跡でした。
中には祖父母に宛てた手紙と、通った幼稚園で作れるようになったのか、折り鶴が2つ。
目頭が熱くなるのをグッと堪え、生唾を一つ飲み込んでから、手紙を読んでみました。
けして上手とは言えない縦書き。しかも左側から始まっていました。活字は「便せんの裏」にミミズ文字。
「おじいちゃん あそんでくれて ありがとう。 おばあちゃん げんき ですか。 ぼくは げんき です。」
内容は、たったこれだけ。裏面(便せんに印刷された縦線側)には「おじいちゃんへ おばあちゃんへ」となっていました。
封筒表には祖父が書き記したであろう、「第一報」の文字。
消印 昭和51年浪速区。郵送切手は20円のものでした。
本当は私自身が大切に保管していたかったのですが、せっかく祖父が今まで保管していたもの。
納棺時に手に添えていただきました。「これで淋しくないだろう。祖母にも見せてあげて欲しい。」
今思うと、何気なく身内が開けた引き出し。祖父が開けさせたんだと思う。これを納棺時に入れろと。
よくある話しっぽいけど、自分が温かくなれた気がする。
|