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投稿番号:100585  投稿日:2001年07月18日 21時16分56秒 パスワード
お名前:メープルシロップ

いつ死んでもいいように生きること

地域 :東北

以前、『モリー先生との火曜日』という本を紹介してもらおうと
もこさんに「いつ死んでもいいと思えるように生きたい」というような
内容のメールを送りました。
今日、かきこをみていたら、

>「死んでもいい。」なんていっている人は、死ぬという事に直面した事のない人のかっこつけ言葉だと思います

という言葉があって、考え込んでしまいました。
もしかして、このように考えておられる方はたくさんいるのかな、と思い、
みなさまに意見を聞かせていただきたくて、スレッドを立てました。

私は以前、ライフガードをしていました。
海水浴場での監視と救助をする仕事です。
その日、私は監視塔に上って監視をしていました。
平日ということで海水浴客は少なく、それぞれのお客さんを覚える余裕もあって、
そのなかに3人のお子さん連れのご夫婦がいたことも覚えていました。
その後、交代して私は本部に戻ったのですが、30分後、
「溺者発見、応援頼む」との無線が入りました。
私が現場に到着したとき、仲間のライフガードが溺者を岸に引き上げて、
蘇生法を始めようとしていました。溺者は、さっきのご夫婦のだんなさんでした。
私は救急車を要請し、近くにいたお客さんに子供さんたちを
本部に連れて行ってくださるようにお願いし、仲間と協力して蘇生法を始めました。
意識、呼吸、脈、ともにすでにありませんでした。
救急車が来るまでの約40分間、人工呼吸と心臓マサージを続けましたが、
助けることはできず、その方はそのまま帰らぬ人となりました。
あれから、今年で3度目の夏ですが、私はいまでも考えます。

本当はなんとか助けられたのではないのか。
あの奥さんのだんなさんを、子供さんたちのお父さんを奪ったのは私ではないのか。
私が死なせたも同然ではないのか。

その後、荒れる海に救助に入り、二重遭難で自分も溺れかけたりしました。
自分の死、他人の死と何度も向き合う毎日でした。
ライフガードをやめてからも、助けられなかった男性のことが頭から離れませんでした。
家族で元気に楽しそうに遊ぶ姿と、
たった30分後に冷たくなって横たわっていた姿。
「人はこんなに簡単に死んでしまう。30分後のことだって、先のことはわからない。
誰だってそうなんだ。私だって、30分後に死んでいたって不思議じゃない」
なにもかもが怖くなって、自分の殻にこもってしまうようになりました。
3年間、その思いが頭から離れず、その思いとどう向き合っていいのかもわからず、
その思いを誰にも言えずにいたときに『モリー先生との火曜日』を読みました。
「いずれ死ぬことを認めて、いつ死んでもいいように準備すること」という一説に、
私は3年ぶりに水面に浮かび上がって息をしたような気持ちになりました。

こんなことをしていてはいけないんだ。「いつ死んでもいい」と言えるくらい、
1日1日を精一杯生きていくしかないんだ。

と思いました。
このときから「いつ死んでもいいと言えるように生きること」が、
私の生きていくうえでの羅針盤になりました。
これは、私なりに真剣に死と向き合ったすえに、やっとたどり着いた言葉です。
こう思わなければ、とても生きていけない気がするくらいです。
でも、世の中にはいろんな考えの方がいるし、
私のような年若いチャラチャラした娘が「いつ死んでもいいように生きる」とか
言うと、生意気に聞こえて反感をもたれる方もいるのかもしれません。
こんなことは、おいそれと口に出すものではないのかな、と少し反省もしています。

みなさまはどう思われるでしょうか。
よかったら、ご意見をお聞かせください。

[1]涼子 さんからのコメント(2001年07月18日 23時36分00秒 )
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私は、療養型の老人病院に勤めています。食事の方なんですが、時々、「食止め伝票」が栄養科に届き、転院などもありますが、殆どは「帰らぬ人」となって家に帰られます。
自殺だろうが、事故だろうが、病気だろうが・・その日は決まってるんだと思ってます。
これで思い残すことは無いなんて思いながら逝く人は居ないと思います。
でも、親より先に死ぬ事は親不孝だとも思っています。
そう、思いながら患者さんと自分の親をダブらせながら、今年の院内の七夕飾りに、また今年も泣かされています。

短冊には、「早く、直って、家に帰りたい」 帰れないのになぁ・・・涙

[2]みっちゃん@えむおうさんからのコメント(2001年07月18日 23時43分11秒 )
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私も「いつ死んでもいいと言えるように生きること」をしたいと思っています。
毎日何処かで起きている事故や事件…。
自分自身も、その当事者になることがあるかもしれません。
本当に先の事はわからないですもんね。
だから常々、覚悟だけはしていたい、万が一のときに悔いだけは残したくないと
思っているのです。

…でもそういう生き方、なかなか難しいですね。
実際、自分がそんなふうに真剣に毎日を送っているのか「???」なのであります。

[3]あだっちゃんさんからのコメント(2001年07月18日 23時56分16秒 )
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私は逆に、「○○が終るまでは死ねない」と考える方です。
例えば劇団にいた時は、演劇の上演が終るまでは・・とか。
車の開発に携わった時には(メーカーの人に直接会って、使っている人の立場から意見を言ったりしまして)、この車が完成して自分が乗るまでは・・とか。
最近ではオフ会の計画を立てて、実行するまではとか。

何ヶ月か先の計画が入っていないと、安心できないんです。
だから、30歳の時に20代を振り返ると、同世代の仕事人間より、何倍もの思い出ができたような気がします。それでも悔いはあります。

私は自営で自分の仕事だけやってればいいのですが、会社にいて責任のある仕事をしているる人だと、「このプロジェクトが終るまでは」ということになるでしょう。

そのうち結婚するまでは・・となって、子供が生まれるまでは・・となり、子供が巣立つまでは・・と、いつ死んでも悔いがあるような気がします。

「いつ死んでも良くない」ということは、それだけ責任のあることをしているということでしょう。

だから、例えば山道を運転していて、対向車とすれ違うたびにドキっとしたりしますし、さくらんぼの仕事で高所作業をする時は、安全帯がないと安心できないんです。(こんなめんどくさい物をしている農家の人は他にいません)

どちらの生き方がいいというのではなく、こういう生き方をしている人もいるという意見でした。

[4]小川もこさんからのコメント(2001年07月19日 00時54分16秒 )
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 メープルさん、貴女が鶴岡でのライブの後にくださったメールに、小川は
大きく共感をおぼえたものです。

小川の ある種、がむしゃらとも とられがちな生き方は 刹那的とか、鮭みたいに振り返らないとか、生き急いでいるとか、なんで、、とか 言われることが多いです。
でもね。
それは やはり 悔いを残さない、今この場で一所懸命にならなかったら後できっと後悔するって思うからなのね。
>「いつ死んでもいいと言えるように生きること」が、私の生きていくうえでの羅針盤

うむ。

今を生きるんだな。

すご〜〜〜く 些細なことを思い出した。
子供の頃、いとこ姉弟と花火をしました。
半分ぐらい終わったところで、従姉妹のおねえちゃんは言いました。
「残りは あしたね。」
淋しかったな。
私は 明日 帰ってしまうから その場にはいられない。
それからというもの、花火はどんなにいっぱいあっても、一度に使い切る私がいました。

ははは。
チーズを貯めておくネズミにはなれないんだな。
やっぱり刹那的な奴か。

[5]はとむぎばっとさんからのコメント(2001年07月19日 00時57分31秒 )
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人の命なんて分からないものです。 私も「えっ? あの人が何で?」
という死に何度と無く遭遇しましたし、自分の親族にもあまりにも呆気ない
最期だった者がおります。
ですから、私は「人間は生まれた時から死に向かって歩いている、そのゴールは
何時訪れるか分からない」と思っていますし、
「何時、死が訪れても悔いの残らないよう、精一杯生きていきたい。」と
考えています。
実際、悔いの残らない生き方をしているか?と言えば、甚だ疑問ですが・・・。

以前、「その人の真価は死んだ後に分かる」という言葉を聞いたことがあります。
実は、どのように生きるかも難しいですが、どのように死ぬかはもっと
難しいことです。
良い死に方とはどんな死に方なのか? それはどうすれば良いのか?
もしかすると、人生で一番難しい課題かもしれません。

[6]いのさんさんからのコメント(2001年07月19日 01時00分36秒 )
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いのさんです こんばんは。
僕のコメントがスレッドを立てるきっかけになっているのでちょっとびっくりしています。その部分だけのコメントを捉えられると、、、、、

今を精一杯生きる。

素晴らしい事だと思います。僕もそうありたいと思っています。

今この瞬間を、自分に対して嘘偽りなく「精一杯生きよう」としたその時、「いつ死んでもいい」という自分の気持ちを支える言葉が、「精一杯生きるために死ぬわけにはいかない」になるんじゃないかな。

人生は生きるという事を前提に、自分で切り開くもの。 それが僕の考えです。
生意気言ってすみません。

[7]かびたろうの母さんからのコメント(2001年07月19日 01時33分38秒 )
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 子供の頃は、遊びつかれて眠れば、「明日」は必ず来ると信じて疑いません
でしたよね。
 それが、いつくらいからでしょうね、ドツボモードになると決まって
「明日は、私にもくるんだろうか」に、変わってしまったのは。

 流産の処置のとき。
点滴で、麻酔が体に入っていくとき、「1、2、3・・・・」と
数えて行き、すううううっと、意識が闇の底にひきずりこまれていく感覚。
意識がなくなる直前はいつも「このまま、死ぬのかもしれない」と
思います。
 お腹の子を、ひとりで逝かせるのはかわいそうだから、それでもいいかなとも
思います。
 そう思うくせに、ベッドの上で目覚めたとき、ホッとします。
そして、かびたの事を真っ先に考えます。

 私にとって「いつ死んでもいいように生きること」は
亡くなっていった子供たちの分、いえそれ以上に、現世で肉身を授かった
かびたを愛し、一緒に精いっぱい生きることで償えるかもしれないなと
思っています。
 とはいえ、精神修養がまるでできていない私ですので
体調が悪ければ、たった一人しかいない子供の世話すらできないでいるから
精いっぱい生きるというよりも、反省の中で生きているみたいなもんです。

[8]しぇばさんからのコメント(2001年07月19日 05時06分45秒 )
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私の考え方は,いのさんに近いかもしれません.

私は,自分では1日1日を精一杯生きているつもりです.
やる時はやる,休む時は全力で休む.
流されないで自分で考えて時間を使っているつもり.

そうやって生きていても,いつ死んでも良いという考えにはなれません.
というより,死ぬ時に納得して死んでいきたくはない.
もう少し生きたかった,明日はきっと,もっともっと良いことがあるはずなのに.
そんな風に考えられたら良いなと思います.
そういう生き方をしたいです.

後悔ということではなく,自分の「未来への未練」たっぷりに逝けたら良いなぁ.

[9]エス・オーさんからのコメント(2001年07月19日 10時35分18秒 )
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このスレッドの原因となるいのさんの書き込みの原因となるスレッドを
建てたエス・オーです。
問題の1行でいのさんの考え方と捉えられてしまっては、いのさんが切ないですよ、
メープルシロップさん。
どちらかと言えば同じサイドに立った考え方なのだと思いますから。

さて、私と言えば
「いつ死んでも良いように生きる」出来ないなぁ・・・とても。
だって、生きる予定の年月分を毎日凝縮して生きなきゃならないってのは
結構難しいし、しんどい事だもん。
加えて「今日しなくて良い事は明日にする」と言う性格の上に
毎日が反省の日々ですからねぇ
しかも、子供達はまだ小さいし、愛する女房もいる・・・
「いつ死んでも良いように」って事自体が考えられない事ですね。
「未来永劫、生きてやる」とは考えますけど・・・
さりとて、身体に爆弾を抱えた身ですので、本当は
いつ死んでも良いように生きなきゃならないんでしょうが・・・

[10]サラさんからのコメント(2001年07月19日 10時36分33秒 )
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メープルシロップさんライフガードをなさっていたのですか・・・・
大変な経験をされたんですね。。。

いつ死んでも良い・・・という言葉を示されると、いつでもってわけにはなぁと
つい猶予が欲しくなってしまいます。そりゃいろんなこと考えますもんね。

でも、いつ死んでも良いっていうくらいの気持ちで生きているのは大賛成。
死ぬまで生きさせて貰おうって思っています。

とっても気前よく生きているお友達が居て。
そこに袋菓子があったとしたら、背中の方を一気にあけてしまうような人。
「さぁ、みんなで美味しく食べようよ」という気持ちがありあり。
一事が万事そういう人で、また一緒に遊ぼうよ、なにかしようよっていつも思わせてくれます。
一所懸命な人。私はそのお友達に対して、せいぜい「一緒」懸命かな、、、、また遊んで欲しいから。

何年前になるでしょうか、、、、もこフレンズOITA立ち上げて初めての飲み会。
2次会で随分遅くなったので「もうそろそろ」ってもこさんに申し上げたら
「もう無いから」っておっしゃって、結局、、、、朝の5時までおつき合い頂いたの。
一瞬、二度と来ないっていう意味かと思ってドキッとしましたけれど、いやいやそういう意味じゃない・・・・・
やっぱ、かなわないなぁ(あったりまえですが)、、、って思いましたです、はい。

[11]ボニさんからのコメント(2001年07月19日 13時06分22秒 )
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メープルシロップさん、はじめまして。

>私のような年若いチャラチャラした娘が「いつ死んでもいいように生きる」
>とか言うと、生意気に聞こえて反感をもたれる方もいるのかもしれません。
>こんなことは、おいそれと口に出すものではないのかな、と少し反省もして
>います。

いえいえ、考えるきっかけを投げかけてくださってどうもありがとうございます。
私には確固たる考えがなくて、クラゲのようにのほほんと生活している日もあれば、やりたいことを思う存分やって「充実してるなあ」と、感じる日もあります。
ほとんど計画性のない、行き当たりバッタリな一日一日。
親戚のおじさんが病気で手術すると聞けば、「手術はうまく行ったかしら…」と心配し、イチローが活躍すれば「すっごーい!」とわきたち、「これからはエコロジーな生活を送ろう!」と堆肥作りに興味を持ってみたり、映画を観て涙したり…。
なんにも考えてないけど、こんな毎日の繰り返しでいつかその時を迎えるんだろうなと思います。

[12]メープルシロップさんからのコメント(2001年07月19日 19時21分54秒 )
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たくさんのレス、ありがとうございます。

涼子さん>
毎日お食事を作っていた方が亡くなるというのは、とても寂しいことでしょうね。
「早く、直って、家に帰りたい」
それぞれにご病気や事情を抱えていらっしゃって、帰れないのでしょうね。
死にたい場所で死ねないことは、どんなにかご無念でしょう。

みっちゃん@えむおうさん>
>毎日何処かで起きている事故や事件…。
>自分自身も、その当事者になることがあるかもしれません。
おっしゃるとおりですよね。
でも、もちろん私も含めて、普段はいつも忘れているというか、
見ようとしないというか、信じようとしないんですよね、自分が死ぬということを。
そうは言っても「いつ死んでもいい」と思える一日を生きることは難しくて、
私は毎日「ああ、今日では困るう」と思っています(笑)

あだっちゃんさん>
>「いつ死んでも良くない」ということは、
>それだけ責任のあることをしているということでしょう。
そうですね。確かに、なんらかのプロジェクト(それが公であれ私であれ)に
関わっていれば、1日で決着のつくことはないわけで、死んではいられないし、
周りもその人に死なれては困るのでしょうね。
少々乱暴な分け方ですが、私は社会的というよりは個人的な生き方をしてきたので、
そのあたりの影響が出ているのかもしれません。

小川もこさん>
あのメールを読んでいただいたときの興奮と嬉しさを、
いままた、まざまざと思い出して涙してしまいました。
>それは やはり 悔いを残さない、今この場で一所懸命にならなかったら後で
>きっと後悔するって思うからなのね。
ステージに仁王立ち(笑)でまっすぐに立ち、よく通るお声で誠実に話される。
そんなお姿から私がいつも感じている、もこさんの潔い美しさは、
きっとこの生きる姿勢からきているんですね。
チーズを貯めておくネズミになんか、ならないでくださいね。

はとむぎばっとさん>
>実際、悔いの残らない生き方をしているか?と言えば、甚だ疑問ですが・・・。
おっしゃるとおり、言うは易し、行うは……ですよね。
私も毎日「あ〜あ」の連続です。
ただ、毎日を「今日が最後の日」と思って生きていると、少しずついろんなことが
変わっていくのがわかります。少しずつ、少しずつの前進ですが(^^ゞ
死に際もまた、難しいですよね。なんと言っても、人生の総括ですもの。

いのさんさん>
まず最初に、謝らなければいけません。
このスレッドを立てるとき、いのさんのコメントを引用しようかどうか迷いました。
でも、そもそもこのコメントがきっかけになっていたので、その部分を抜きに
文章を組み立てられず、結局、お名前をふせて引用させていただきました。
しかし、やはり私の配慮が足りませんでしたね。
いのさんを驚かせ、お気持ちを傷つけてしまいました。
本当に申し訳ないことをしたと思っています。
このいのさんのコメントに過剰に反応してしまったのは、たぶん自分のなかに、
「いつ死んでもいいように生きるなんて、思い上がりのポーズではないのか」
という思いと怖れがあったからだと思います。
自分の影に自分で怯えた、というか。
傷つくのは、結局自分のなかの問題ときちんと向き合って解決していないからで、
原因は自分のなかにあり、それは誰のせいでもありません。
ましてや、いのさんのせいでは決してありません。
いのさんのコメントのおかげで、今回のスレッドを立てることができ、
たくさんの方々の意見を聞く機会をもてて、とても感謝しています。
誤解を招くような書き方をしてしまって、本当にごめんなさい。
これからも、どうかよろしくお願いします。

かびたろうの母さん>
出産や流産の話を聞くと、命を産むということの凄さと困難さを思って、
いつも言葉を失ってしまいます。
先日、友人が出産したのですが、異常分娩で母子ともに命も危ぶまれました。
無事、帝王出産で1800gの女の子を出産したのですが、
後日、メールでそのことを知り、恐怖と安心がいっしょくたにやってきて、
腰が抜けてしまいました。
反省のなかで生きるのも、精一杯生きておられるからこそだと思いました。

しぇばさん>
一休禅師(あのトンチの一休さん)は亡くなられるときに、最後に一言、
「死にたくない……」とつぶやかれたそうです。
悟りを求めて修行しておられるお坊様が、生への執着をあっさり肯定してしまう
その潔さと強さに、驚くやら感動するやら。
明日へ、明日へ、と生きていこうとするしぇばさんの考え方を読んでいたら、
この一休禅師の逸話を思い出してしまいました。
そういう清々しい生き方もいいですね。

エス・オーさん>
>問題の1行でいのさんの考え方と捉えられてしまっては、いのさんが切ないですよ
まったくおっしゃるとおりです。
上記のいのさんへのレスにも書きましたが、本当に申し訳ないことをしたと
反省しています。これからはもっと気をつけてかきこします。
お子さんがいるかどうかも、大きなターニング・ポイントかもしれませんね。
私の母は、私たち兄弟が幼いころには危ないことには近づきもしなかったのに、
2人が自立したとたん、「もう後顧の憂いはない」とばかりに、
スキューバ・ダイビングをして、ギュンギュン潜って周りを慌てさせたそうな。
この親にして、この子あり、というところでしょうか(笑)

サラさん>
本当に素敵なお友達ですね。
その方はきっと、いまのこの人、この瞬間、この場面に、まっすぐに向き合って
慈しむということが、自然にできる方なのでしょうね。
もこさんの逸話も、とってももこさんらしくて、嬉しくて笑ってしまいました。
>「もう無いから」
いまのこのときは、もう二度とない。one night standなんですよね。
それをいつも思い出させてくれる、もこさんはやっぱりすごいです。

ボニさん>
はじめまして。こちらこそ、レスしてくださって、ありがとうございます。
>ほとんど計画性のない、行き当たりバッタリな一日一日。
その下の文章を読んで感じることは、行き当たりバッタリというよりは、
毎日起こるいろんなことに、そのときそのときで、誠実に正直に対応して
生きていらっしゃるのだなあ、ということでした。
こんなふうに、ひなたのたんぽぽみたいに生きていくのも気持ちいいでしょうね。




[13]メープルシロップさんからのコメント(2001年07月19日 19時53分17秒 )
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昨晩、このスレッドを立てるとき、キーを打つ指が震え、
何度も「やめてしまおうか」と思いました。
この話はいままで誰にもしたことがありませんでした。
自分のなかで整理がついていなかったからです。怖くて、誰にも言えなかった。
「もう逃げないって決めたでしょ」と自分の尻を叩き、なんとか送信しました。
今日帰宅してPCを開くときにも、やっぱり指が震えました。
なんかもう、いっぱいいっぱいで(笑)
こんなにたくさんの、まっすぐでやさしいレスをいただけて本当に嬉しいです。
胸のつかえが下りました。長患いの病気が治ったような気分です。

みなさまのレスを読んでいて、
「いつ死んでもいいように生きる」ことと「まだまだ死にたくない」ことは、
ともに自分の人生と精一杯向き合う姿勢の表れで、いわばコインの表と裏、
出発点は同じところなんだな、と感じました。
私が動揺して目をくらませていただけでした。
ただ、この「目のくらみ」は自分だけの力で治すのは難しいです。
今回、みなさまのお力を借りて治すことができました。
胃の痛い思いをしながらも、このスレッドを立ててよかったです。

レスをくださったみなさまがた、本当にありがとうございました。
みなさまのこれからの1日1日が、充実したものでありますように。
暑い日が続きますが、どうか元気でお過ごしください。

[14]いのさんさんからのコメント(2001年07月19日 22時04分16秒 )
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いのさんです こんばんは。
メープルシロップさん 優しいお心使い本当にありがとう。
こちらこそこれからもよろしくお願いします。

[15]涼子 さんからのコメント(2001年07月19日 23時13分34秒 )
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ご丁寧なレスに対する感想、有り難うございます。
命って強いんですよね。
自分にもやがて来る40代、50代〜〜〜いつまで生きるのか判りませんが、座右の名とでも言いましょうか、「気持ち良いことをして生きたい」をモットウに女をやって行きたいと思ってます。  笑・・

[16]八尾仙人さんからのコメント(2001年07月20日 09時58分16秒 )
パスワード
 八尾仙人です。遅れ馳せながら、書き込みさせていただきます。
「いつ死んでもいいように生きる」・・ちょっと過激かもしれないけど、
大切なことだと感じますし、前向きな生き方だと共感します。

 まだまだ、お若いメープルシロップさんがおっしゃると「えっ??!!」っと
思いますが、私のように40歳を過ぎると「まだまだ若い」と思いながらも
人生半分越えちゃってますからねぇ〜〜。
 40歳近くになると事故や・・特に突発的な病気で亡くなるという話を
時々聞くようになります。

 私も2年前に本当に心から信頼し、尊敬していた大切な友達を亡くしました。
病名は蜘蛛膜下出血でした。突然のことでしたので家人にも誰にも言いたいこと
一言も言えずに逝ったと聞きました。本人もきっと「死ぬんだ」と自覚しないまま
だったかも知れません。
 本当に強い男でした。正義の味方を絵に描いたような男で、気風が良くて喧嘩っ
早くて、周囲にはとても優しい奴でした。悔しくて、悲しくて、男泣きに泣きました。
 彼の葬儀で心に誓ったこと・・、それは「奴の分まで一生懸命頑張ろう」と言う
ことでした。奴の分まで長生きするんじゃなくて、人生の中身で勝負しようと
決めました。私自身の人生がいつ終わるのかはわかりませんが、いつかその時は
必ず来るのですから・・。でもきっと言うんでしょうね「まだ死にたくない」って(笑)。
 彼の死後、事ある毎に彼のことを考えます。迷った時、奴だったらきっとこう
しただろうな、こう言うだろうなと自分の判断の支えにしたり、きっと奴は反対
するだろうけど・・、頑張ってやってみようって、裏の支えとなったり・・。
 まぁ、傍から見れば自分勝手でしかないのでしょうが、心の支えになっています。

 「いつ死んでもいいと思えるように生きたい」が私の口癖です。子供達にも言って
います。「お父さんがいつまでも生きてると思うな」って・・。だから少ない時間で
も子供達にはなるべく話しをするように心がけています。出会いを大切にしたいと
考えています。

 何かをやり遂げた瞬間、「今なら死んでもいい!!」って思うことってあるでしょ?
何かに感動して「もう死んでもいい!!」って舞上がること、それから大好きな人を
前にして「おまえの為だったら死ねるよ!!」って口説いた族もいるでしょ?
その時は、本当にそう思っているんですよ!!・・・きっと。
 そんな気持ちを 年を重ねて、世間の厳しさ・汚さ・矛盾が判った今でも、そしてこれからもずっと持ちつづけたいと思うのです。

 なんだか支離滅裂ですが、今の私は健康そのもの・・、不良中年にますます磨きを
かけて遊びまくりますよっ!!(笑)。

[17]メープルシロップさんからのコメント(2001年07月21日 12時26分55秒 )
パスワード
不良中年の八尾仙人さん(笑)、こんにちは。
お友達のご冥福を心からお祈り申し上げます。
そんな強くて元気なお友達なら、こんなに急にお亡くなりになるなんて、
だれも思ってもみなかったことでしょうね。
お友達は亡くなられましたが、いまでも八尾仙人さんのそばにいて、
励まし、支えているんだなあ、と八尾仙人さんのレスを読んで感じました。
肉体がなくなったからこそ、もっと親密につながっている、というか。

>いつ死んでもいいと思えるように生きたい」が私の口癖です。
あの八尾でのthe MOSTのライブは、この心意気の元に実現されたのですね。
それを踏まえて、サラさんの報告ページのみなさまのコメントを読むと、
新たな感慨がこみ上げて、また涙してしまいました。
そりゃあ熱いわけだ。かっこいいわけだ。人の心を打つわけだ。
そんなお父さんを見て育つ子供さんたちは、とてもしあわせですね(*^o^*)
私も負けずに遊びまくりますよっ!!(笑)

[18]Keiさんからのコメント(2001年07月23日 18時06分58秒 )
パスワード
”いつ死んでもいいや”
と思っていた時期があります。
でも、その”いつ死んでも”はメープルシロップさん
のいわれている前向きな”いつ死んでもいい”ではなく
”生”に対する執着がなかったのですね。
これから先特に何をどうしたいってのもないし、、、
といったそれこそ、”生きる”ことの大切さ、
生きていることがいかに恵まれていることかをとくとくと
諭されそうな”いつ死んでもいいや”でした。
でも、今は違います。
色々な楽しみ方を知りました。
もったいなくていつ死んでもいいなんて思えません。
ただ、死を予感したときに”満喫したな”と思える生き方をしたいですね。
言葉の表現の違いこそあれ、
”精一杯”生きたいってことですよね。
このスレッド読ませていただいてそれぞれコメントされた方の
魅力が伝わってきますね。
メープルシロップさんよかったですね。

[19]メープルシロップさんからのコメント(2001年07月25日 01時09分58秒 )
パスワード
Keiさん>
>このスレッド読ませていただいてそれぞれコメントされた方の
>魅力が伝わってきますね。
本当におっしゃるとおりですね。
こんなにたくさんの方にすごく真剣なレスをいただけて、本当にうれしかったです。
それだけでも、このスレッドを立てた甲斐があったと思います。
もこさんのリスナーの方々は、生きることに対してまっすぐに取り組んで
いらっしゃるのだなあ、としみじみ感じました。
keiさんも、かつて辛い時期を過ごされたようですが、
いまは楽しんでおられるようですね。
少し違うかもしれませんが、私が事故を体験してからの3年間は、
「生きている」とはとてもいえない時間だったような気がします。
息を潜めて、時間が早く過ぎてくれればいいと、毎日をやり過ごしていました。
ただ「生存していた」だけの3年間でした。
しかし、ずうずうしいというか(笑)、そんな時期があっても、
それをやり過ごすことができれば、また「生きていく」ことができるんですね。
いまは、うまくやり過ごせてよかったと心から思っています。
お互い、1日1日をいい日にしていきたいですね。

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