いのさんです こんばんは。
まずもって、純粋なお嬢様、泣かないで。悲しみをこらえて下さい。
「命」という言葉をテーマにした時、何を思うか? 人は、誰しも死ぬのが怖いのです。「死んでもいい。」なんていっている人は、死ぬという事に直面した事のない人のかっこつけ言葉だと思います。
死ぬのが怖いから、寿命を「運命」という言葉で慰めているんじゃないでしょうか。
では、死んで悲しいと感じる人の心。近しい人の死、可愛がったペットの死、直面したとすると悲しいですよね。
では、人に危害を加えた熊がいたとします、人にとってはその瞬間から敵になってしまいます。「殺せ」という気持ちで追い詰めます。無事殺すと、「よくやった」とニュースなります。
では、動物園に家族で行ったとします,愛くるしい熊が、人間に愛想を振りまいたとします。「可愛い」人はそんな気持ちになります。
同じ熊なのに、、、
すべての生きとし生きるものは、生まれた時から死ぬ事を背負ってしまいます。これは逃れられない「運命」でしょう。しかし、時として人は、運命という言葉を、都合よく言い訳にしてしまいます。 弱いから、怖いから、
「命」に運命、あるいは寿命はあるかもしれません。
でも、「人生」には運命も寿命もないと思います。
命という「運命」を背負いながら、「人生」という未知なる世界を切り開くからこそ
生きていく喜びを感じられるのではないのでしょうか。
エス・オーさんのお嬢様の小鳥の死という事への悲しみ、それを助けようとする家族のやさしい心、それこそが、命という運命を受け止めながら、生きるという人生を自分で見つけ出す事を、大切にした小鳥が教えてくれたんじゃないでしょうか?
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